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(引用開始)
甘やかし
甘えてくる子には、それがどんな形であっても、できる範囲で十分に「甘えさせる」ことが必要です。
どんな形であってもということには賛成できない。本音の欲求(基本的欲求)に基づいた甘えであれば良いが、見かけの欲求(代理欲求)に基づいた甘えであれば、それを甘えさせることは甘やかしになってしまうからだ。
他方、「甘やかす」ということは、子どもが他者へ無理な要求を突きつけたり、他の子どもに迷惑を及ぼすような行為をしたときに、それを許してしまったり、無関心を装ったりしていることです。
それを「甘やかす」ことであるとしてよいのだろうか?それは「甘やかす」のごく一面を言うのではないだろうか。
その時にその過ちをきちんと指摘することは、その子どもにとってたいへん大きな意味をもちます。
十分に「甘えさせる」ことは、子どもの確かな自立につながりますが、「甘やかす」ことは、子どもの反抗を引き起こすだけであり、子どもの健全な成長を妨げるものでしょう。
このフレーズは、加藤諦三氏の「子供を甘やかしすぎてスポイルするということはない」ということには反するけれども(笑)
(引用終了)