西洋的カウンセリングは、少なくとも日本でよく広まっている方法は、傾聴、共感的理解、・・・、要するに、相手の話を聞くということが第一義的に重要である。そして、こうしたら?ああしたら?といった指示をあまり行わないほうが良いとされている。
しかし、日本的というか、沖縄的というか、ユタ(霊能者)のハンジ場面や拝みやさんなどへの相談は、全く逆に、ユタのほうが喋り捲っているといったほうが良い。何も話さないユタがいるとすれば、それは無能の証としかならない(笑)。
カウンセラーとクライエントの間には「信頼」が醸成されることが必要だ。それは面接を重ねていくにつれ、信頼関係は次第に醸成されていくものだ。それは面接がうまく行っている証拠になる。
ユタ(霊能者)の場合も相互の信頼関係は重要だ。しかし、その作り方が違う。ユタ(霊能者)の場合には、クライエントをびっくりさせるような、霊感というか、相手のことを読み取る能力のデモンストレーションが必要である。たとえば・・・、もうだいぶ昔の話であるが、母親が父親とボクを連れて、安慶名のユタのところへ連れて行ったが・・・、ユタは父親を見るなり「カミーヤターヤガ」と言った。カミーというのは誰か?という意味だ。
父親はギョッとして「ウー、ワンウヤドゥヤイビーン」と答えていた。はい、私の親でございます、という意味だ。知るはずが無い人から会うなり親の名前を言われたことで、そこにはユタの能力に対する「信頼」が即座に構築されたのだ。後は、ユタがいろいろというのをかしこまって聞くだけだ。そして色々なアドバイスをくれるのである。祖先祭祀システム、祖先崇拝文化に基づいてのアドバイスだから、その文化の理解なしには、アドバイスの意味は理解できない。
祖先祭祀システム、祖先崇拝文化に基づいてのカウンセリングは、カウンセラー(これを普通のカウンセラーと区別する意味でシャマニック・カウンセラーと呼んでおこう)がクライエントに話をすることがほとんどだ。話を聞いていくことで、心が洗われるような効果があるわけだ。
例えば、第一子に問題行動が生じて困ったときなどは、そのこの前にユースー(幼死、水子のこと)がいるためだとか、産水の御恩がなされていないとか、いろんなことが言われる。そして、拝み方などが指導される。このユタをカウンセラーとみなしたときの、西洋との対比はとても面白いといえる。