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= まぶい分析学 Mabui Analysis =

「まぶい」とは琉球語で「たましい」という意味です。琉球語は古代大和語と深い関連があることが分っています。したがって、琉球語で語られる精神世界は、古代大和から連綿と続く日本人の精神世界を表し、いわば、日本人の心の源流であると考えられます。このような日本文化と西洋諸心理学を融合、体系化することが出来、これを「まぶい分析学」と呼んでいます。まぶい分析学の命名は、姫路獨協大・實川幹朗教授によります。記して感謝。 まぶい分析学と精神分析や分析心理などの他の心理学との違いは、分析と同時に治療法が提示されること、家族療法として主婦が修得すると家族成員に対しても効果を発揮することです。なお、http://matayan.ti-da.net/ にミラーサイトを準備しています。  
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本論は当時(調査中)、上野の水上音楽堂において孫正義さんの支援で斉藤さんという方が企画していた催し物のための原稿である。催し物自体は実現しなかったが、本論はまとめておいたものである。
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1.はじめに.
昨今、未成年者による凶悪な犯罪が多発している。報道される諸事件に共通に見られる容疑者達の心理として、「拗ね」「僻み」「恨み」「ふて腐れ」「自棄 糞」の心意が明らかに読みとれる。これら五つの心意は、土居健郎元東大教授が明らかにしたように、「甘えたくても甘えられない」という状態にあるときに発 生する。「甘え」は、土居も示したように、英語、独語、仏語、伊語等には見られない日本語に特有な概念である。この様に、人間の異常行動(何も異常行動だ けではないが)の原因となる心理状態を記述するのに「甘え」は極めて有用である。未成年者の甘えの対象は主として親であるはずなので、親子関係や家族関係 に主たる原因が存在すると考えて良い。

日本の心: 「甘え」の概念を利用して人間の行動を理解しようとすると、日本の精神文化を理解しなければならない。本論文では、沖縄県にて使用されている 言語(琉球語)は平安時代の名残をとどめているという事実に基づき、琉球語で記述される精神世界は平安時代からの精神文化の名残をとどめる、という作業仮 説を設定し、日本人の心の源流1を求める。琉球語で記述される精神世界は、伝統文化とされるアニミズムとしての「祖先崇拝、Ancestors① Worship2」に内包されているものである。

アニミズムの世界における「神」は次のように定義して良いものである。すなわち、その存在無しには人類が 生存し得ない、あるいは、人間が心の平穏を維持できないほどに強大な影響力を有する生物および非生物、と。具体的には、空気や水、大地といった大自然②、 親にとっての子③、子にとっての親、商人にとっての顧客④、お金、住宅、その他数え上げればキリがない。すなわち、これ「八百万の神々」なのである。日本 の「神」は天皇が「現人神」とされた経緯があるため「日本は神の国である」という森首相の発言は物議をかもしたが、アニミズムの世界観が今なお強く残る沖 縄で「沖縄は神の国である」と言えば全く違和感が無いのである。

我々の生存を可能にし心を平穏ならしめる生物・非生物に対しては、それらを大切にすることによって我々は平穏な心を持って生きられる、という考え方が「日 本の心」の一基本であると考えられる。この様に考えるなら、心が平穏でない人達(罪を犯す未成年者も含めて良い)は、それは、彼等は彼等にとっての神々と の関係が思わしくないためなのである、として良い。また心理的ストレスが原因となって発生する病気にしても、その人がその人にとっての神々との関係が思わ しくないためなのである。この様に考えると、「日本の心」なるものは心理療法・精神療法と密接な関係を有することが分かる3、4。心理療法・精神療法は、 神々のひとつである親子、家族関係を良好にするための方法論である、と定義しうるのである。


2.子育ての本質
最近は西洋化の傾向を見せて変化してはいるが、子育ては母(女)の独占行為と考えられる。子育ての本質Essence of Child Rearingを「子の心に生じる不快感を除去し快感に変える一連の作業」と定義すると、子の不快感は空腹に基づくものが基本であるから、機能する乳房の 所有者である母(女)にしか基本的にはできないのが「子育て」である。

子育ての本質を母が実践すると、生後半年前後が経過する頃に、不快感・母・快感の三要素間に条件反射が成立する。これを条件母性反射 Conditioned Maternal Reflexと定義する。条件母性反射が成立した証として「人見知り」が現れる。これは「甘えの対象」が確定した、と言って良い現象である。換言すれば 「子が親を認識した」ということである。以後は、子はもっぱら母親に甘えようとするのである。ここに「甘えたくても甘えられない」という心理状態の発生起 源が在ることが分かる。この状態はまたエリクソンの心理学で言うなら、「基本的信頼Basic Trust」が確立した、ということでもある。

人間の子は養育者無しには生存し得ない。養育者すなわち子育ての本質の実践者の多くは母親であるが、複数の他人(例えば零歳・夜間保育、ベビー・シッ ター)であったり、父親であったり、祖父母であったりする。ここで「甘えの対象」あるいは「親」を認識していない子は、甘えたくても甘えられないという状 態に陥り、やがては、拗ね、僻み、恨み、ふて腐れ、自棄糞の心意に支配され、他者に対する信頼感が欠如した人間になることが分かる。米国では20年前から 保育が産業化する傾向が見え始め、学識者はできるだけ母親あるいは同一の人が養育にあたることが重要であることを説いている5,6。小此木敬吾慶大教授の 言う「心理的なホームレスの子」というのは、子育ての本質が適切に実践されておらず、したがって人見知りの適切な発現に問題がある(人見知りが無い、人見 知りが激しい)場合で、拗ね、僻み、恨み、ふて腐れ、自棄糞の心意に支配された人間になる素地を持つことになるのである。

いずれにせよ、形成された条件母性反射の対象(通常は母親)に甘えることによって、子は精神的な成長を遂げるものである。


3.A. Maslowの理論とその拡張:
Maslowが提唱する基本的欲求は、その定義から、実はアニミズムとしての祖先崇拝における霊魂の性質と同一の概念である。基本的欲求は五種類から成 り階層構造を有する。下位の欲求がある程度充足されると自然に次位の欲求に移行する、という性質を持つ。Maslowは基本的欲求の充足を社会的文脈の中 で考察したが、これを親子(母子)関係にも当てはめることができる。親子関係の中で子の基本的欲求が現れる状況を観察すると、親の目には子の「甘え」と映 る。ここで「甘え」とは「自分でやってできないことではないが、他者に依頼すること」と仮の定義をしておく。すると幼児は始めのうちは、明らかに生理的欲 求に基づいて母親に甘え、母親がそれを充足していくうちに自立し、安全欲求に基づいて甘えるようになることが観察される。以下、これを繰り返して、自己実 現欲求に基づく甘えにまで移行すると考えて良い⑤。

現実生活の中では、条件母性反射を成立させる子の養育は可能であるが、果たして子の甘えを母親が受容可能かどうかは疑問である。まずは安全欲求の充足に問 題が出る。例えば共働き家庭、夫婦が不仲の家庭であれば、そうでない家庭の子に比べると充足されがたい。ある欲求(今の場合は安全欲求)が充足されないと き、子は他の人の行動を模倣したりして、他の欲求に基づく甘えの行動を呈するようになる。下位の生理的欲求に基づく甘えの行動(お漏らしや幼児語)は退行 と呼ばれる。また上位(所属・愛情、承認、自己実現欲求)に基づく甘えの場合にはいわゆる「ませる」という現象を示すが、退行に対応する用語がないので、 ここで「越行」と定義する。退行あるいは越行の状態での甘えは、ある基本的欲求が充足されずに代わりに出てくる欲求で、これを代理欲求と定義する。代理欲 求を充足してもその原因となっている基本的欲求が充足されない限りは、その子は人間的成長を見せずに何時までもその段階に留まる。それどころか、代理欲求 は肉体的成長と共に増大する傾向を見せる。この代理欲求を充足し続けることが「甘やかし」である⑥。甘やかしの状態が何時までも続く関係は共依存の状態で ある7。以上のようにして、「甘え」をMaslowの理論に適用すると「甘やかし」を定義することができる。人間の異常行動は、著者の四半世紀の臨床経験 からは、ここで述べた意味での「甘やかし」が原因である。

Maslowの理論はまた、次のようにも解釈できる。生理的欲求および安全欲求に基づく「甘え」は条件母性反射の対象(母を始めとした家族成員)に向けら れ、所属・愛情欲求に基づく「甘え」は家族成員から他者(社会成員)に向けて拡散していく性質を持つ。承認欲求と自己実現欲求も同様である。社会成員に向 けて承認欲求、自己実現欲求を向けて行くには、それなりの心理的エネルギー(いわゆる「やる気」)が必要である。これらは、下位の欲求である生理的欲求、 安全欲求、所属・愛情欲求を求める形で現れる。これらは主として家庭内において充足されるべきなものである。一般的には家庭は安らぎを得る場と表現された りするが、具体的には、これらの下位の基本的欲求を充足させる場、あるいはそれらの欲求に基づく「甘え」を充足させる場である、ということである。と同時 に、次世代の社会を担う子供達に対して、彼等の精神的成長を促す場でもある、換言すれば、子供達に「甘え」を与えなければならない場でもある。子供達を甘 えさせることができないような状態になると、子供達は甘えたくても甘えられない状態になるわけで、拗ね、僻み、恨み、ふて腐れ、自棄糞の心意が起こるのを 我慢していかねばならない。「我慢」は何時までも続けられるものではなく、やがてはキレてしまって当たり前であろう。現代の大きな社会問題である未成年者 の犯罪の多発は、こうした「甘え」に関する家庭機能が近代化、都市化といった西洋社会化の流れの中で失われてきている結果ではないかと考えられる。この様 な中で、家族の人間関係というものは「花を育てるとき花弁や葉を綺麗にするのではなく、根に水をあげるようなことをするのが大切だ⑦」という気持ちで接し 合うことが最良であることになる。

4.先祖の祟り
先祖の祟りという概念も日本に特有ではないだろうか。この様な迷信っぽい響きを持つ概念も現在では、西洋諸理論の援用によって科学的に理解可能な「正信」 となる。ウィスコンシン大学のHarlow教授が赤毛猿を用いた実験では、親の愛情を受けずに育った猿は自分が親になったときに自分の子に愛情を与えるこ とが出来ない、ということが知られている。このことが人間にもあてはまるかどうかは、長寿世界一で居住区域が限定されている沖縄県では四世代に渡る面接調 査が可能であるので、たやすく確認できる。その結果、「親に甘えることができなかった者は自分が親になったときに自分の子を甘えさせることができない」と いうことが知れた。これは先祖代々から子々孫々へ引き継がれていく性質を有する。幼児虐待などがこの様な性質を持つことは「世代間伝達」として良く知られ るようになってきている。家庭において子を甘えさせる機能が失われる結果、次世代の人間はキレ易くなり、さらに子供を甘えさせる機能は失われ、ということ が子孫が絶滅するまで、子々孫々に渡って続いていく。これを先祖の祟りと言わずに何と言おうか。まさに的を射た概念であろう。


5.S. Freudのコンプレックス論の拡張:
FreudのOedipus Complexは、子が母に甘えることを阻害する父の存在に起因するものと理解される。この意味では、他にも要因は存在するのであって、Oedipus Complexは一般性の無い概念である。他の要因としては、母が女に変身する(古沢平作のAjase Complex)、仕事、同胞、宗教・行事がある。後者が日本社会、特に沖縄社会では重要である。

沖縄は伝統的に貧困、子沢山であった。したがって、母を仕事に、同胞に、あるいは祖先祭祀に取られるのである。母を定常的に仕事に取られると、仕事に嫉妬 し、仕事が嫌いになる。また仕事にまつわる「勤勉であること」や「規則を守る」ことにも不快感を示すようになる。現代ではそれ程でもないが、一頃の沖縄社 会は、会合は1時間も遅れて当たり前、就業意欲や学習意欲も無く長続きしない、抜きん出るものの足を引っ張るといったことがあって、全てを大概(琉球語で テーゲーという)で済ますという風潮があった(何も沖縄だけに限ったことでなく、各地に存在すると思われる)。一頃のアメリカのヒッピー族もこれに類した 部類である。これを著者はテーゲー・コンプレックス(英語ではHippie Complex)と仮に呼んでいる⑧。

また第一子は、次子が生まれるまでは一人っ子で可愛がられるが、次子の誕生と共に母を次子にとられる。このため次子に嫉妬する。すると第一子は甘えたくて も甘えられなくなるため、拗ねて、僻んで、恨んで、ふて腐れて、自棄糞になる心意を持つようになる。そんな子を親(母親)は叱りつけてしまうことが多い が、これを長子押込と祖先崇拝では呼んでいる。第一子が男で期待された存在であるときには長男押込の現象が発生する。これを著者は仮にFirst Child Repression Complexと呼んでいる⑨。

祖先祭祀の行事は毎月旧暦の1日と15日から始まり、数多く存在する。そのたびに母を祖先にとられるということになり、祖先に嫉妬するようになる。すると 祖先祭祀の時期になる度に落ち着かなくなり、異常行動を示したりするようになることがある。これを祖先崇拝ではカミ・ダーリ(神倒れ)と呼んでいる。した がってこれをカミダーリ・コンプレックスと仮称するが、英語ではReligion Complexとしている。精神病院や老人保健施設の患者や入所者がこの様な時期に異常行動を示すことが多々ある8。


6.Feminism論の拡張
子育ての本質が適切に実践された人間が作る家族では、家族成員全てに条件母性反射が成立していると考えて良い。つまり、子は性別の区別なく母親に甘える し、また夫も母のイメージを持つ妻に甘える。ところが、妻・母である女性は、条件母性反射が成立しているため、家庭内には甘えの対象が存在しないことにな る。家庭内の女性(妻・母)は他の家族成員から甘えられてしまう一方なのである。家族成員に対して何でも家事・育児としてサービスをしていくことは、いず れは精神的に疲労困憊していくことは火を見るより明らかである9。これは、家庭においては全てのストレスが女性(母・妻)に集中すると考えて良い。そのた め、我慢の限度すなわち受忍限度期間を10年とすれば10、結婚して10年も経つ頃にはどんな女性もオバタリアン化する、ということが理解される⑩。以上 に述べた家族精神力動が存在するため、家庭内の人間関係は平等ではなく、母・妻の立場にある女性にストレスが集中することが知れる。ここに解決すべき重要 な問題が存在する。


7.西洋フェミニズム
「神は自らを助ける者を助ける」の諺で知られるように、西洋社会は「個人」に主眼点をおく社会である。従って「甘え」は言葉すら存在しないほどに抑圧され る。この様な社会において、前述の家族精神力動に由来する女性(母・妻)の苦境を救うには、全ての「甘え」を断ち、夫婦・親子が早期に自立することが必要 である。さもなくば、女性(母・妻)は仕事に出かけることはまずできない。この様な状況においては、女性(母・妻)が伝統的な性役割を引き受けることに疑 問が出て当然であろうし、ジェンダー・フリーの考え方が生まれても当然であろうという素地を有することになる。これが女性の側からの女性問題解決のひとつ の選択肢であることは否めない。したがって、条件母性反射を母に対して成立させようとすることは、西洋フェミニズムにおいてはその根底を揺るがされること となってしまう。


8.東洋フェミニズム
西洋フェミニズムに「日本の心」を導入すると、もう一つの選択肢として、条件母性反射の存在を認識し「甘え」は当然のこととして受容することであるとい う考え方が生まれる。「甘え」を充足させてくれる人に対しては、経験的に知れるように、信頼と忠誠の気持ちが湧き出るものである。信頼と忠誠の気持ちでつ ながってしまえば、女性(母・妻)もまた相手に甘えることが可能となる。この様な観点に立って女性(母・妻)が行動する様式を東洋フェミニズム⑪と名付け る。西洋フェミニズムでは情緒のつながりではなく、義務や権利、道徳といった理性上のつながりで相互関係が維持される。ところが東洋フェミニズムでは、 「甘える」「甘えさせる」の情緒的なつながりで相互関係を維持することとなる。この様な関係においては、「甘える」「甘えさせる」ということについて、明 確な知識と実践法を持つ必要がある。さもなくば、いわゆる「甘やかし」の状態に陥り、いつまでも同じ状態が延々と続き、あるいは悪循環が高じて酷い状態に 陥ってしまう。これは先述した共依存と呼ばれる状態である。

「甘やかし」の概念は、これまでに検討されることがなかった。「甘やかすな!」と言えば、「甘えさせない」と同義であるかのように考えられることが多かっ た。しかし、人間の「甘え」の行動は、A. Maslowが提唱する基本的欲求に基づくものであると考えることができ、ある段階の欲求が充足されないとき、人は代理欲求として他の段階の欲求を他者の 行動を模倣して現すという考え方を提示して以来、「甘やかし」の状態にある家族関係に適用して良い関係を築くことが可能となってきた11。「甘やかし」の 本態と対処法が明らかになった現在、東洋フェミニズムとしての方法を採用することも女性(母・妻)の救済策として十分に機能できることとなった12。


9.おわりに
以上に概略を示したように、「日本の心」なるものは、それを基軸として、これまでの西洋の思想的産物をより深化させた形に拡張、統合、体系化できる可能性 があることが示される。つまり、西洋社会に対して「日本の心」を発信することができる可能性を有するのである。日本は幕末以来西洋文明の輸入に精を出して きており、表面的には西洋化したと言っても過言でない。現代の社会問題は日本社会の精神構造が砂上の楼閣であるが故に発生している問題であるとも言えよ う。心理療法を個人に行うのと同様のことになろうが、日本人が「日本の心」を取り戻すことができれば、現代の社会問題は少なからず低減するものと確信す る。本論文で述べたことは著者の家族療法の基本であり成果が得られている。


献:

① 複数形をしていることに注意。一神教(キリスト教や仏教など)は一種のAncestor Worshipであり、多神教・シャーマニズム・アニミズムの形態を持つ祖先崇拝はAncestors Worshipなのである。
② 祖先崇拝では「天」「地」「海」の三つで代表し、これを神聖な三つの物という意味で御三物(ウミチムン)と呼んでいる。
③ 「童神」という概念がこれにあたる。
④ 「お客様は神様です」の概念がこれにあたる。
⑤ この様に考えると、現実の初等・中等・高等教育のシステムにあって、進路を決定する時期すなわち15歳前後に自己実現欲求に基づく甘えが出現するような家庭・社会環境の整備が重要であるとが言える。さもなくば目的意識が欠如した人間が次世代の特徴となる。
⑥ 共稼ぎ家庭や夫婦関係が旨くない家庭では子の欲求に対しお金や物を与えるという形で処理している場合が多々見られる。要求が次第に高額化し、家庭内暴力に 発展するケースがよく見られる。今後は「甘やかし」で子を養育するのではなく「正しく甘えさせる」ことが重要である。
⑦ 沖縄県宜野湾市立中学校3年生・当間保彦君の表現による。
⑧ 近年のフリーターの増加はこのコンプレックスと関連していると思われる。また、幼少時に子育ての本質が母でなく複数の人(祖父母や保育所)によって実践さ れたため、条件母性反射が分散して成立し、心の拠り所を複数に求める(あるいは何処にも求めない)心意も存在する。近年の少子化傾向と男女共同参画社会の 気運の高まりと共に、この様な現象が発生することに危惧を覚える。
⑨ いじめっ子、いじめられっ子の構図に基本的にみられる。すなわち、甘えたくても甘えられない環境にある子が、甘えられる環境にある子に嫉妬する現象であ る。嫉妬する対象が存在しないで甘えたくても甘えられない環境にあったときは「誰でも良い」という形でフラストレーションを発散する傾向がみられる。
⑩ 沖縄の精神文化(祖先崇拝、女性文化)では、女がこの様になってしまうことを、「女は七つの天罰を背負って生まれている」と表現する。
⑪ 上野千鶴子東大教授が彼女の論文の中で「オリエンタル・フェミニズム」という用語を用いている。それとの混同は避けて欲しい。
1 又吉正治:正しい「甘え」が心を癒す-沖縄文化に見る日本人の心の源流、文芸社、東京都、1998年。
2 M. Matayoshi and J. Trafton: Ancestors Worship - the Okinawan Indigenous Belief System, Textbook for ASTD278, The University of Maryland, Asian Division, 1997.
3 又吉正治:祖先崇拝と心理療法、第2回東洋思想と心理療法研究会、平成12年3月25日、東京・駒澤大学。
4 又吉正治:現代社会の精神病理と解決への模索―日本の伝統思想を基軸とした心理諸理論の拡張・統合、体系化、九州Japan Creative Oyster Extract (JCOE) 研究会、平成12年6月25日、博多市国際会議場、福岡県。
5 G. F. Kreyche: DAY CARE, the New Surrogacy, USA TODAY(Magazine), Sept. 1989, pp. 91-93.
6 K. Zinsmeister: The Industrialization of Child Care, Hartford Courant, Oct. 2, 1988, pp. C1+.
7 又吉正治・鈴木英朗:「甘え」と「甘やかし」-共依存からの脱却-沖縄県公衆衛生学会大会、平成12年1月19日、自治会館、那覇市、沖縄県。
8 又吉正治他:沖縄の生活習慣に基づく老人看護・介護―カミダーリ・コンプレックスへの対処― 沖縄県公衆衛生学会大会、平成12年1月19日、自治会館、那覇市、沖縄県。
9 又吉正治:男と女、こころの違い、家族療法研究所、沖縄県、1986年。
10 又吉正治:性同一性障害の心理治療、九州臨床心理学会第28回宮崎大会、シーサイドホテルフェニックス、平成12年1月28日~30日。
11 又吉正治:勤労意欲が無く金銭浪費癖の激しい青年の心理治療、九州臨床心理学会第27回沖縄大会、パシフィックホテル沖縄、平成11年1月。
12 又吉正治:人間の行動の理解と人間関係論学習予定項目表、文化精神医学・家族療法学の学習会、家族療法研究所、沖縄県、1999年。
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Dr.MataYan
年齢:
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誕生日:
1947/08/09
職業:
日本文化の心理学と家族療法研究会主宰
自己紹介:
◎工学士(静岡大学、電気工学、昭和45年)
◎医学博士(東京大学、医用生体工学、昭和55年)
◎荻野恒一慶応大学客員教授に文化精神医学・精神分析を師事・共著:沖縄のシャーマニズム(祖先崇拝)に見る家族療法の機能、理想、628号。
◎臨床心理士(平成2年登録、なお、この肩書きを維持することへの疑問を感じたので、平成7年には再登録を停止した)

〒904-8799
沖縄郵便局私書箱第205号
日本文化の心理学と家族療法研究会
電話 090-1940-0525
電子メール postmasterに@を続けてその後にmatayan.comと書く

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