甘えについて・・・間違った解釈(1)に引き続き、今度は、次のサイトの「甘え」についての見解を検討してみよう。
土居健郎の『甘え理論』(Amae theory)と甘えの病理としての社会不安障害
というエッセイである。心理学関連の専門用語の解説を行っているブログのようだ。赤字が問題と思われる部分である
(引用ここから)
土居健郎の『甘え理論』(Amae theory)と甘えの病理としての社会不安障害
乳幼児期の精神発達過程では、母親と赤ちゃんが自他未分離な一体感に包まれた
『未分化期(正常な自閉期・正常な共生期)』を経て、
3歳頃までにゆっくりと母親から心理的離乳を遂げていく。乳幼児は母親と密接にくっついて『アタッチメント(愛着)』を形成し、心理的な安心感や依存心の充足を得ている。この母子密着のアタッチメント(愛着)や一方的依存心を少しずつ弱めていく過程が『分離・個体化期(5-36ヶ月頃)』と呼ばれる時期に当たる。
心理的離乳を三歳ころまでに遂げる、という考え方がおかしいのではないか?
どう証明されたのだろうか?母子密着とか、一方的依存心を弱めて、
ということも、実はよく判らない。依存の内容が変化することは理解できる(例えば、
ご飯は自分で食べようとする、といったように)が、依存心が弱まっているとは
考えにくい。大体、その強弱などはどのように測定されるのか?
分離・個体化期の発達課題とは、
『母親と離れている感覚を一定時間以上持続できる能力(心理的離乳)の獲得』で あるといえる。
甘えの心理が強い人の場合には、この分離の事実を受け容れることが出来ず、母親との分離に伴う孤独感や不安感を退行をはじめとする様々な自 我防衛機制を使って止揚(アウフヘーベン)しようとするのである。
即ち、甘えの人格構造を持つ人は、分離の不安や苦痛を回避するために、分離以外の甘えや 依存によって問題を解決し、外見上の心理的自立を装う傾向が見られるということである。
甘えの心理が強いい人、ということは、甘えたいのに甘えさせてもらえないから
そうなるのであって、したがって既に親によって強制的に分離させされて
しまっている状態なのである。だから、その記述はおかしいのである。
無意識領域のエス(原始的本能)の力動を起源とする『甘えの心理』は、詰まるところ、
『母親との幻想的な一体感』に基づく安心感や信頼感を延々と保持し続けて、他人に依存的な欲求を満たしてもらおうとする心理だといえる。
甘えの心理構造を持つ人物の特徴として、『自 立心・主体性・責任感が相対的に低い』『他者に人生の責任や選択を依存して委ねようとする』『自分の感情を孤独な状況でコントロールできず、困難を一人で 解決できない』『相手の反応一つで“僻む・拗ねる・いじける・恨む・こだわる・嫉妬する”といったアンビバレンツな葛藤状態に陥る』というものがある。
甘えの心理構造を持つ人という表現は過渡に甘える人という意味だと思うが、
甘えたくても甘えられない状況にあれば、それが基本的欲求に基づく甘えであれば、
そうなって当たり前であり、それが正常である証拠といえるものだ。
甘えたくても甘えられなければ、拗ねる、僻む、恨む、不貞腐れる、自棄糞になるというのは
当然の反応であって、アンビバレンツな葛藤状態ではないだろう。
甘えの心理の究極的な問題点は、『自分の依存的欲求や一方的依頼が満たされないと、“憎悪・嫉妬・敵意・いじけ”といった攻撃的な反応を示すところ』にあり、この甘えが過剰になると依存性人格障害などのパーソナリティの過度の歪曲の問題が起こってくる恐れがある。日本の
文化結合症候群とされる
社会不安障害(SAD:対人恐怖症)も、甘えの病理としての側面を指摘することができる。
甘えが満たされないと、それが基本的欲求に基づく甘えであれば、
攻撃的になっても当たり前である。それは問題ではない。たとえば、究極の
飢餓状態になれば、仲間を食ってしまうことをありえるだろう。それを異常反応と
言うことは出来まい。甘えが過剰になると依存性人格障害・・・は間違っている。というか
同義反復であり意味がない。甘えることが出来なかったから、がむしゃらに求めようとする
のが人間であり、その姿が通常とは異なった行動に見えても当たり前である。
つまり、
『甘えの許される親密な家族的人間関係』の外部にある『甘えの許されない自立的な社会的人間関係』に 上手く適応できない時に発症リスクが高くなると考えることが出来るのである。とはいえ、現代の精神医学や臨床心理学では、神経伝達物質のバランスなど生物 学的原因や社会環境要因、生育歴の親子関係・学校生活などを無視して、社会不安障害の病態を考えることが出来ないということもまた事実である。
甘えの許される関係の中で甘えさせてもらえないから、甘えることは普通でない社会的
人間関係の中で甘えてしまうのである。文章が既に問題含みだろう。現代の精神医学が
無力なのは、したがって当然でもある。
他者の愛情・保護・支援を受けたいという
『甘えの心理』そのものは、無意識領域のエス・イドの 原始的欲求に起源があると仮説されていて、人類全般に普遍的なものであると考えられている。恋愛関係・夫婦関係・親子関係から全ての甘えの心理を取り除い てしまえば、そこに残るのは殺伐とした利害関係やビジネスライクなやり取りだけになってしまうであろう。
相互的に寛容に助け合える『甘えの心理が許される時間・空間』と独立した個人として社会的役割を果たす『甘えの心理が許されない時間・空間』の適切なバランスをとることが重要であり、『精神の健康性と安定性』を損耗しないような対人関係とライフスタイルを工夫していくことが求められている。
そんなバランスをとるように行動することは難しいといえる。問題は、甘えが許される中で
甘えさせてもらえず、したがって甘えさせてもらえない中で甘えるという行動をとるの
だから、基本は、その人がバランスをとる、なんてことを考えるのではなく、余計な
場面で甘えなくても済むように、良い家族関係(甘えさせてもらえる)を親の側で
子に提供する必要があるということだ。
(引用ここまで)
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