『「甘え」の構造』(土居健郎著、弘文堂、1971年出版 ISBN 4335651066)は、代表的な日本人論の一つである。英語版「The Anatomy of Dependence」は1973年に、Kodansha Americaによって出版された。
本書によると、「甘え」は日本人の心理と日本社会の構造をわかるための重要なキーワードだという。甘えとは、周りの人に好かれて依存できるようにし たいという、日本人特有の感情だと定義する。この行動を親に要求する子供にたとえる。また、親子関係は人間関係の理想な形で、他の人間関係においても、親 子関係のような親密さを求めるべきだという。
土居健郎が、1950年代の米国留学時に受けたカルチャーショックを把握しようと、日本を把握しようと試みた本。「甘え」に該当する言葉が他言語に見つからないことに着目した。サピア・ウォーフの文化言語論(サピア・ウォーフの仮説、言語的相対論)、ジークムント・フロイトの精神分析、ルース・ベネディクトの『菊と刀』に影響を受けた考察。
(引用ここまで)上記引用で赤部分が、僕がおかしいと思う点である。特に「日本人特有の感情」というのは大問題だ。周りの人に好かれたいというのは、今まで交際してきた外国人、特に沖縄県内の基地内大学の教官や学生達との経験においては、むしろ、彼らのほうがそのような感情が強く現れ、日本人である我々は、その辺は「恥ずかしさ」の感情が芽生えるせいだろうか、大変におとなしいのである。なぜこうなるかはまぶい分析学の理論で説明可能となった。したがって、このウィキペディアの記載者が間違いなのか、土居健郎が間違いなのかは、今は明らかではないが(あえて明らかにしない(笑))、そのような定義は噴飯ものである。間違った定義の上に構築された論理は、当然、どこかで破綻するだろう。
また、「親子関係は人間関係の理想な形」というが、果たしてそうだろうか?親と子では、既に対等な関係ではないことは明らかだ。子は親に依存することなしには、特に幼少期は、生存不可能な存在である。つまり、突きつめれば、親子関係とは従属関係の代表のようなものだ。これを他の人間関係にも求めるべきとは、暴論にも等しいのではないだろうか?
土居健郎の、あるいはウィキペディアの記載者の言いたいところは、人間関係一般においては、相互信頼に基づく関係を構築できるような能力を持つことが望ましい、ということではないだろうか。であれば、甘えたい状況にあるものを適切に甘えさせることが出来れば、甘えた人の心には、甘えさせてくれた人に対して信頼の心意が芽生え、それがある程度持続するようになると忠誠の心意が発生する、ということをベースにし、相互に甘える、甘えさせるの関係を構築することが大切なのではないだろうか。