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= まぶい分析学 Mabui Analysis =

「まぶい」とは琉球語で「たましい」という意味です。琉球語は古代大和語と深い関連があることが分っています。したがって、琉球語で語られる精神世界は、古代大和から連綿と続く日本人の精神世界を表し、いわば、日本人の心の源流であると考えられます。このような日本文化と西洋諸心理学を融合、体系化することが出来、これを「まぶい分析学」と呼んでいます。まぶい分析学の命名は、姫路獨協大・實川幹朗教授によります。記して感謝。 まぶい分析学と精神分析や分析心理などの他の心理学との違いは、分析と同時に治療法が提示されること、家族療法として主婦が修得すると家族成員に対しても効果を発揮することです。なお、http://matayan.ti-da.net/ にミラーサイトを準備しています。  
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病 院に入院していた患者が患者が亡くなったとき、日本文化的には、その患者が使っていたベッドにはその患者の霊・魂が落ちて(付着して)いるものと考える。 これは『霊』を『影響力』と考えれば、迷信でもなんでもない。実際、患者が亡くなったのでベッドが空いたからといって、そのベッドにいきなり寝るのも、心 穏やかではいられないものである。

古代大和文化が現在にも生きていると考えられる沖縄では、病院で亡くなると、そこに落ちた魂を亡くなった患者の家にまで運び、仏壇に安置させるという儀式 が行われる。これは患者の家族の者が遺体を運ぶのと同様にその人の霊をも運ぶというものである。まさに心身二元論の実践である! そのような儀式を行った 後のベッドには、心穏やかに横たわることが可能なようであることは、複数の経験者が語ってくれた。

心穏やかではいられないからといって、神道系や仏教系の宗教家を呼び、『御祓い』が行われたりするこもあるようだ。御祓いとは災厄を除くための儀式である (大辞林(Yahoo辞書))ということであるから、この場合は、亡くなった人の魂は災厄の素と考えていることになる。しかし、これには同意し難い。自分 が死んだときのことを考えても、自分の霊が厄介者として祓われることを想定するのは、どうも気持ちの良いことではないのではないだろうか。

霊の実体があるとするとなおさらだ。その場所から祓われてしまっては、どこに行ったら良いのかさ迷ってしまうだろう。やはり、古代大和式に、行くべきとこ ろに連れて行って安置するという考え方が一番しっくりとするものだ。それを行ってくれる人に対しては感謝の念さえ芽生えよう。そうでなければ、さ迷いなが ら場合によっては恨みの念さえ生まれてくるのではないだろうか。

異国に住んでいるときなども、その人が亡くなると遺体を母国に運ぶということが行われる。ハーバード大学の講師をしているアメリカ・インディアンも、同様 のことを行う文化があることを教えてくれた。このとき、亡くなった場所に落ちているその人の霊も同時に運ぶということが共通していることが面白い。ここに も心身二元論の実践が見られる。

に示した辞書が記述していることで、(3)や(5)の『神霊』などとの関連を示してみよう。

古代大和文化を現代に残す沖縄では『御嶽』と呼ばれる地が存在する。これは原始人類が生息したと考えられる地で、住居であると考えられる自然の洞窟と自然 の湧き水がセットになって存在する地である。日本文化の礎と考えられる祖先崇拝においては(祖先崇拝論(1)及び(2)を参照)、御嶽に居住していた人類 は『神』と呼ばれ、御嶽はまた『神地』とも呼ばれている。

御嶽には自然の湧き水があることからわかるように、その地はこんもりと木々が生い茂った杜である。この木々には民間伝承がある。『御嶽の木を切ると神罰が下る(祟りがある)』というものだ。

そんな民間伝承は、現代人には『そんな馬鹿な!』と一笑に付したい面があるが(笑)、なかなかそうも行かないのが現実である。実際、ある村の村長さんは地 域開発のために自らが率先して御嶽の地の木を切り倒したが、その直後、寝込んでしまったという話を本人の側近から直接聞いたことがある。こんな話は良く聞 くのである。また沖縄の在日米軍基地内にあるメリーランド大学で祖先崇拝学を講義していたときであるが、米軍の工兵隊が御嶽の地を地ならしするときなどに もそのようなことが発生したとい学生である兵士が言うのである。そのためかどうか、米軍基地内の御嶽の地は、そこだけちゃんと残されているのである。

以上のような『神罰』なるものの『影響力』は、果たして科学的というか学問的というか、そのような方法論で理解しうるものなのであろうか。試案としては、次のようなものを提唱している。

おそらく原始人類も、自然の湧き水がかれないためには木々が生い茂ることの必要性は理解していたのではないだろうか。山火事など、木が少なくなってしまえ ば、泉が枯れてしまうといったことを経験的に伝承していたのではないだろうか。このことを知っていると仮定すれば、御嶽の木々を無闇に伐ってしまうこと は、自分達の生存にかかわる重要な問題となるので『御嶽の木々を切ると神罰が下る』ということを次世代に言い残してきているのではないかと考えられる。

しかし、中にはやんちゃ坊主もいるであろうと思われる。木々を切ってしまう者も現れるであろう。しかし、幼少の頃から禁止事項として叩き込まれたことに対 して敢えて反抗するような行動をとるとき、少なからず心は痛むものであることは経験的にも言えることだ。ここで心身症を起こしてしまった人達もいるであろ うと考えられる。

そんなことが起こってしまえば、その伝承はまことしやかなもの、真実であるとして語り継がれるであろう。そして、ますます心の奥深くに禁止事項は叩き込まれていくことになるであろう。そして無意識化されていくであろう。

このような状態にあって、木々を切るという行為がなされると、心身症を発症しても、なんらおかしなことではないと考えられる。すなわち『神罰』なるものは存在するのである(^^

この手の神罰によって起こったものは、病院などでの治療がほとんど効を奏せず、困り果てた挙句に、ユタの指導により、そのようなことをしてしまったことを御嶽の神にお詫びに行くということで治癒しているという現実がある。
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Dr.MataYan
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1947/08/09
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日本文化の心理学と家族療法研究会主宰
自己紹介:
◎工学士(静岡大学、電気工学、昭和45年)
◎医学博士(東京大学、医用生体工学、昭和55年)
◎荻野恒一慶応大学客員教授に文化精神医学・精神分析を師事・共著:沖縄のシャーマニズム(祖先崇拝)に見る家族療法の機能、理想、628号。
◎臨床心理士(平成2年登録、なお、この肩書きを維持することへの疑問を感じたので、平成7年には再登録を停止した)

〒904-8799
沖縄郵便局私書箱第205号
日本文化の心理学と家族療法研究会
電話 090-1940-0525
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