2004年8月2日:初出し
2008年(平成20年)4月11日(金):旧ブログより移動・加筆
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改 正男女雇用機会均等法の施行と共に、本格的な男女共同参画社会の到来となった。それに伴い「零歳保育」も保育所で導入されるようになった。しかし伝統的に 貧困な沖縄県では元々から共働きが多く、祖父母が零歳保育者の役割を果たしている例が多い。従って、家族療法・精神分析の立場からすれば、零歳保育におい て保育所(保育士)と零歳児の親の双方が気をつけねばならないことが既に知れている。この点について述べ、諸氏の参考としたい。なお、ここで言う零歳保育は、生後2~3ヶ月以内に他者(親族や保育士)に子の世話の大部分(時間的)をゆだねてしまう場合である。
まず、基本的なことを述べておこう。
子育てとは何か、その本質は何かと言うとき、「子の心に生じる不快感を取り除き快感に変える一連の作業」と定義することが出来る。乳幼児の場合、空腹感が不快感の多くを占める ため、これは機能する乳房の所有者である母親の独占業務となる。「子育ての本質」を毎日飽くことなく母が実践すると、<不快感>・<母>・<快感>の三つの要素の間に条件反射が形成されるようになる。これを「条件母性反射」と呼ぶ。条件母性反射は生後半年前後に成立するが、その結果、「人見知り」が発現する。これ以後は、子供は性別の区別無く、母親にもっぱら甘えていく。すなわち、子の甘えの対象が確定し たのである。あるいは、子が母を認識したということだ。
零歳保育では、母親のみならず、保育士に対して条件母性反射が成立するだろう。しかも、場合によっては、複数の保育士に対して成立する可能性もあるだろう。上で述べた甘えの対象が確定せず、分散することになる。すると、人見知りが発現するよりも、誰にでもなつく子という性格が発現することが多くなる。一見すれば、人なつっこくて良いようであるが、困ったと きに頼れる人が確定できないので、問題行動を起こす原因となり易い。
例えば、母親ではなく、祖母や保育士に対して条件母性反射が成立すると、彼等がその子にとっての心理的母親となり、生物学的母親との分離が生じる。後者に対しては甘えにくく、し かし前者に対しては甘えやすい。ところが、子が物心つく頃には、祖母は高齢であり保育士は他人であり、そうは甘えられない状態になる。生物学的母親に対し ては素直には甘えにくい。つまり、零歳保育では、甘えの対象が分散され、子の心の拠り所が形成されにくいのである。
甘えの対象が分散している、または確定していない子は、多動(あるいは自閉)の傾向を示す。今流行りのADHDすなわち注意欠陥多動症となったりする。ま た生物学的母親との間に条件母性反射が成立していない場合、近親相姦を引き起こす可能性が高くなる。鬱症状が発生しやすいことも特徴である。
零歳保育が必要であれば、以上に簡述したような問題点に親も保育士も注意すべきである。そして条件母性反射が生物学的母親に対して成立するように、社会 的、家庭的配慮が必要である。現場の保育士達や母親達の意見を聞くと、保育料を払ったのだから、できるだけ長時間預けないともったいない、という考え方が 多く、これでは次世代の子は可哀想である。
零歳保育の問題点は、心理学的母親と生物学的母親が分離してしまう点にある。伝統的に貧困であり、共働きが当たり前である沖縄では、『親』を心理学的な親と生物学的な親の二つを、伝統的に、祖先祭祀システム、祖先崇拝という文化の中に有しており、問題が発生したときに参照される。
なお、心理学的な親と生物学的な親の分離は、離婚によっても生じる。この場合も、特に離婚率が高い沖縄県では、対処法が祖先祭祀システムに内包されているのが面白い。
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