2004年8月18日:初出し
2008年(平成20年)4月19日(土):旧ブログより移動
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日本の民俗文化では、台所のコンロの傍に「神様」を祀る慣習がある。これを「竈神」と呼ぶ。地方によってその呼称は異なり、沖縄では「火の神」と呼ばれる。
日本の民俗文化における
「神」は、それなしには人類が生存できない、もしくは平穏な心を維持することができないほどに絶大な影響力を有する生物および非生物(天地万物)、と定義してよいものである。この意味では、「台所」「竈」「火」というのは、まさに「神」そのものである。
大昔の竈は三個の石からなる。この上になべなども置き調理したものだ。その三個の石が御神体であり「御三物」と呼ばれたりする(ウミチムンと琉球語では呼ばれる)。この三つの石で表されるものは何かというと「天」「地」「海」の大自然である。
そのような象徴は、現在では、水、塩、定期的に供えるご飯、少量の常緑樹でもって竈神としているようだ。沖縄では、これに香炉が加えられる。また、場合によっては、酒も供えられる。
このように台所、コンロ(火)を神とすることには、実際問題として、何か具体的な意義があるのかどうかということが問題であろう。しかし、研究してみると、かなり意義があるようだ。それは次の二つが基本的なことのようだ。
第一に、神を祀る場というのは、古今東西を問わず「清める」ということが常識となっている。ということは、台所を清浄に保つ、ということが自然に行われることとなるわけだ。
第二は、神を拝むことの意義である。これは宗教のいかんにかかわりなく、自分の心情の吐露が基本であろう。それを行うということは、自分の心を清浄にし、落ち着いた自分を作る、ということである。
上記の二つが自然に行われておれば、清潔な台所から優しいお母さんが毎日の食事を作る、という環境が実現される。これは家族成員にとってはまさに「神」で あると言えよう。それなしでは生きられないし、平穏な心を維持するなんてできやしないのである。この意味ではまさに「山の神」という表現がぴったりであ る。山の神とは(大辞泉、意味の3は省略)、
やま‐の‐かみ 【山の神】
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1 山を守り、支配する神。多く、女性神として信仰され、農民・狩猟民・鉱業者などに祭られる。→田の神
2 妻のこと。特に、結婚してから何年もたち、口やかましくなった妻。
多くの場合、我々には、台所や火、それに妻といったものが「神」であるという認識は、今では無いのが普通ではないだろうか。「神」と考えておれば、それを大切にし感謝するということは欠かせないものとなるが、そうではないのが現実であろう。
「神」に感謝を忘れると、神罰が下るともいえよう(笑)。大辞泉に言う、結婚してから何年もたち、口やかましくなった妻というのは、まさに神罰の一種であろうかと思われる。祟りである。
昨今の社会には、情報網が整備されたこともあると思われるが、種々の問題ひしめき合っている。特に子供の問題は最近は心が痛む人々が多いのではないだろう か。そのようなことの原因を考えていくとき、以上に述べたような意味での「神罰」あるいは「祟り」が根底にあるようなのだ。
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