また、長文であるので、少しづつ作業を進めていく。現在作業中。「現在作業中」の文字がなくなったとき、作業が終了したことを示す。
琉球新報社、○○さんへの取材
田○信○
【取材の目的】
1980年の琉球新報紙上における「トートーメ問題」キャンペーンに関して、当時の時代背景や、キャンペーン後現在にいたるまでの沖縄社会の変遷についてお伺いする。
【○○さんについて】
省略
http://www.culture-archive.city.naha.okinawa.jp/html/b_profile/10050120.html#profile
必要があれば、上記を参照。
【取材内容】
・キャンペーンの当時は、沖縄の慣習と、長男にのみ位牌継承を認めることからくる実際上の不都合という現実的な本音の部分が混在していた。
・トートーメ継承問題は、沖縄の子だくさんや、離婚率の高さの一因である。
こんなことは聞いたことがない。ちゃんと検証したのだろうか?
・トートーメを長男以外に継がせたとしても、常識的に考えて先祖が子孫に祟ることはありえない。
先祖のたたりは、祖先祭祀文化の中では「祖先からの知らせ」というけれども、これは迷信ではなく、医学用語である、他世代伝承(ボーエン流家族療法・アメリカ)あるいは祖先の要求(ソンディの衝動病理学・スイス)と同じ概念である。
・沖縄のように狭い社会では、慣習から生じる弊害について声を上げにくい状況がある。
・キャンペーンの意義は、トートーメ継承問題を人権問題として浮かび上がらせることにあった。
・トートーメにまつわる問題の中でも最も大きいものがユタであり、「問題の根本にがユタがいる」とか「ユタを何とかしてほしい」という手紙や電話が多く寄せられた。
問題の根本は祖先祭祀文化を無理解な人である。
・一部の人からキャンペーンに「新聞社が“ユタ狩り”をしているのではないか」という声もあったが、これは誤解である。たしかに、新聞には「ユタ」に対す る批判的な意見がかなりのスペースをさいて掲載されたが、それは寄せられた意見に批判的なものが多かったことの反映であり、決して“ユタ狩り”を意図した ものではない。
・現在では、男系継承に拘らない学者やユタも出てきている。継承方法に柔軟性をもたせる方向で解決か?
男系男子継承の基本は今でも変わらない。しかし、もともと融通が利くシステムである。そうでないかのように見えるのは、問題を理解することなしに訴えた人々の意見だからである。
省略
【感想】
人々の現実的な苦しみを新聞という媒体を通じて、また沖縄の慣習をタブー視せず、広く問題提起したところに並ならぬジャーナリズム精神を感じた。慣習と人 権を冷静に見定める観察力は、県外から沖縄を見る視点を備えていたことに由来するのであろうか。沖縄の基地問題にも言及して、大局的な視点から分析して話 してくださるあたりから、一つの地域に一貫して拘り続ける人には、やはり一本の強い芯が通っていることを感じさせられた。
ジャーナリストがいうことが正しいかどうかの検証が欲しい。
省略 (ユタ問題)
「トートーメー問題について」
○○
トートーメーは沖縄文化の一つとされながら、多くの問題を孕んでいる。というのも、それはトートーメー継承問題において男女差別と財産問題があるからだ。
男女差別と財産問題があるとは、あまりにも皮相的である。
沖縄では昔からトートーメー(位牌)そのものが、
トートーメーは位牌とは言わない。位牌はイーヘー(イフェーとか語調は地域によって異なる)と呼ば れる。トートーメーを日本語に直すなら『屏位』であろう。しかし、屏位は位牌の一種という位置付けであるから、つまり、位牌には、札位牌、繰り出し位牌、 屏位という種類があるわけだから、必ずしも間違いではないともいえるが。
先祖崇拝の対象として非常に重要視されているが、
先祖崇拝とは言わない。祖先崇拝である。この語感の違いをきちんと理解すべきである。
これを継ぐのは昔から男系の血縁と決まっており、女性が継承する事が出来ないとされている。
女性が継承することができないとはされていない。これが言われるのは、財産を欲しがる親戚がいるときである。継承には二種があり、授かりと預かりがある。
当然の事ながらこれは男女差別であるわけだが、
差別には当たらない。区別である。
この問題が簡単に解決できない理由は、一つにはそこに「沖縄のユタ」との問題が絡んでおり、もし女性が継承すると「たたり」が起こるというユタの言い伝えがあって、人々はそれを怖れているからである。
こういう調査をするなら、その言い伝えが正しいものかどうか位の検証が欲しい。しかし、その言い伝 えは正しいのである。女が継ぐときには、それなりの注意をしなければ、不幸に見舞われやすいのである(琉球文化の精神分析第3巻トートーメーの継ぎ方参 照、なお、同書は絶版であり、近々、まぶい分析学講義第三巻として、同書の改訂増補版として刊行される予定である(東洋企画印刷㈱。とはいえ、四半世紀前に出版され、沖縄県内のほとんどの図書館には在庫があるようだ)。
また、トートーメー問題をややこしくしているもうひとつの要素は財産問題である。トートーメーを持つ人が土地財産も受け継ぐことになっており、相続人が女性しかいない場合は、養子縁組で男性の継承者を他から探してこなければならない。
一般論としては、それはない。女性が継ぐときには注意が必要であるということはあるが、養子縁組をして・・・ということは、養子となる親族の側の希望であるのがほとんどだ。女性が『預かり』として継ぐことは可能である。
だから、「私の家には子供が三人いるが、三人とも女だからこの家の土地財産を相続させることが出来ない。せめて自分の子供に相続させてやりたいのだが、この土地と財産はすべて全くの他人に相続されてしまうのだ」という不条理な事になってしまう。
女の子に財産を継がせるときには、次のたたりが発生することへの対処法を身につけることが必要である。
(1)独身のときに財産を継ぐと、結婚がしにくくなってしまう。
(2)家庭を持った後に財産を継ぐと、家庭が崩壊してしまうことがある。
この問題について那覇女性センターの宮城さんは、一方で「たたり」など古い習慣があるが、現在は法律が整備されており、憲法で「法の下の平等」が保障されているわけだから、こういった脅迫観念にはあまり捕われない事が大事と語る。
古い慣習だと言って一蹴して、その慣習が意義があるものであったときにはどうするのか。しかも、男女平等というパラダイムからすればそうかもしれないが、この問題は女性優位/男系原理のパラダイムの問題なのである。
トートーメーの今日的問題について
田中康晴
1.取材先について
標題について取材を行うため、宗教班は9月8日午後、那覇市歴史資料室の宮城晴美様のもとにお伺いした。宮城様は、これまで那覇市女性室主査として、那覇 市内を中心に「トートーメー問題を考える」という講座もご担当になっており、トートーメー継承問題については非常に詳しい方である。
非常に詳しいと持ち上げる前に、内容を検証することを考えるのが大学研究室に所属する者の態度ではないかと思う。話を聞いてまとめるだけでは、大学生のやることではないと思う。でないと、以下のような間違いを犯して恥をかくことになる。
2.語句説明
以下の報告に際し、必要と思われる語句について幾分か注釈を加えておくことにする。
① トートーメー
トートーメーとは、沖縄式の位牌(および「尊い人」)の幼児語であり、本来は「ウイフェー」や「グリージン」というのが正式な呼称である。しかし、新聞や 出版物に「トートーメー」という形で記載されていることが多く、正式な呼称よりもこの呼称の方が一般的にわかりやすいと思われるため、この報告文中におい ては「トートーメー」で統一することにする。
なお、上記において、「沖縄式の」という修飾語句を付したのは、本州で一般的に見られる位牌と形態を異にするからである。本州に多く見られる形では、仏壇 の奥に仏様の絵や銅像が入り、その手前に位牌を設置する。これに対し、沖縄式では、仏壇の奥(一番高い段)に位牌を設置し、その大きさは本州式のものに比 べ、かなり大きい。また、この位牌の中には継承してきた先祖の名前も書いてあり、数名または十数名で一つのトートーメーを形成する形になっている。
トートーメーとは沖縄式の位牌の幼児語!?・・・これは間違いだ。幼児語で言うなら、お月様のことを幼児語でトートーメーと言うのである。現在ではあまり使われていないけれども。また、トートーメーとは、位牌を収容する木枠のことであって、位牌そのものではないだろう。また、沖縄式、本土式とあるが、沖縄では祖先指しシステム(祖先崇拝)が基本である。本土式は、仏教式であり、祖先崇拝式が壊れているのである。
② トートーメー継承のルールについて
”継承のルール”ということ自体が間違っている。継承されてきた結果のことを言うのであって、ルールではない。しいて言えば”願望”である。
トートーメーを継承するに当たり、そこには4つのタブーが存在している。すなわち、長男以外が親の位牌を祀ること、兄弟同士を同時に祀ること、夫婦を別々 に祀ること、他系を混交して祀ること、の4つである。これらのタブーに触れることなく祀らなければ、「祟り」が起こるとされる。
そのように祀ることがタブーというのではない。そのように祀らざるを得なくなってしまった場合、同じようなことが子孫の代にまた発生する(たたりと考えることが多いが、正式には"祖先からの知らせ"という)ことを食い止めるよう親として最大限に努力せよという意味である。
3.問題意識について
トートーメーにまつわる問題は様々あるが、班側が当初から問題視していたのは、トートーメーの継承が男系長子相続となっている点である。ここで注意しなけ ればならないのは、トートーメーの継承は、単に位牌そのものを相続するということにとどまらず、故人の財産の継承、つまり相続を意味しているということで ある。この点は現行民法の相続の考え方に明らかに反している一方、民法施行前から存在した信仰の内容を、近現代の産物たる民法によって簡単に「過去の遺 物」としてしまってもよいのか、という危惧も存在する。
"危惧も存在する"という点を述べているのは大変に評価できる。実際そうなのだ。トートーメーにすべての遺産が伴うというのは、次のような理由による。大金持ちであれば、トートーメーにすべての遺産を伴わせて長男だけに継がせるということはしない資する必要もない。一般庶民は、一家が食べていけるだけの田畑を有するのが関の山ではないだろうか?現代でいえば、マイホームの土地と屋敷が相当しよう。一般に、そのような田畑は、子供がそれぞれ等分して相続すると、田畑として役に立たなくなるだろう。そういう意味で、田を分けるものを"たわけもの"と言うと聞いたことがある。自分達が存在できた根源をなくすことになるからだ。その場合、長男が継承して、しかし私物化するのはもってのほかで、同胞に何かあったときの支えになるような関係を作り上げるのが望ましいといえよう。法律は、人間関係の最終手段であり、常に最終手段のレベルで物事を考えてしまうのはいかがなものか。
沖縄は離婚率が継続的に高いとの数値がでているが、その一因としては、やはりこのトートーメー継承 問題があるとも言われている。現代およびそこに生きる現代人の感覚と、土着の信仰の内容が相反する場合、人々はどのような解釈によってこの矛盾を解消しよ うとするのか。これらの点が、発表班側の問題意識であった。
離婚率が高いのは統計から事実であるが、その一因をトートーメー問題継承に求めるのはナンセンスといえる。トートーメー問題は、離婚に関して言えば、離婚が発生するのを妨げるオフ工のベクトルである。実際、トートーメー問題などを学習してトートーメーが生活の中に機能することを知るようになるだけで、離婚相談の95%が問題解決を見るのである。
なお、当班は「宗教班」との名称であるが、本報告文中(田中担当分)については、研究対象としているものを「宗教」ではなく「信仰」ととらえ、全てその語 句を使うこととする。というのは、宗教とは通常、経典をもち、特定の一つまたは多数の神仏またはそれに準ずる崇拝対象を崇めるものであるが、沖縄における それはこのような特徴を必ずしも有していないからである。
4.ご説明内容
ご説明を頂くに当たり、トートーメー継承問題が単なるジェンダースタディーズ的な問題ではなく、歴史観を伴う問題であるとの注釈を頂いた。言い換えるな ら、この問題を取り扱うにあたり、一般的な「男女同権の世の中なのに、時代遅れの悪しき慣習はよくない」という視点には決して立ってはいけないということ である。この注釈は当取材の全体を見渡した際、利いてくるのがわかる。
西洋は父兄社会、日本は母系社会といわれることがある。そして、男女平等・同権の世界観だけがすべてではなく、女性優位/男系原理の世界観が日本文化である。上記の”時代遅れの悪しき慣習”と捉えていること事態が、自分達の理解の範囲を超えていたということである。研究は、自分の先入観を捨てねば、新しいものは見えてこない。その意味では評価できる視点でもある。
4-1 トートーメー継承の歴史
まず、トートーメー継承の歴史の流れについて資料に沿ってご説明いただいた(添付資料1)。詳しい内容は添付資料に譲り、ここでは注釈的なことのみにとどめる。
添付資料の中に、3度の「世替わり」がある。ユタが活躍し、根強く残っているのは、これらの世替わりの際、武力が用いられ、政情不安があったからとも言われている。
これはどうかと思う。四半世紀の研究からする限りでは、そういうことにもかかわらず、家族が、特に妻・主婦・母の立場にある女性が、家族のために尽力するのが基本であり、世情の影響を感じる例はなかったといってよい。
なお、トートーメーは、本来は女性でも継承できるものであったとされる。実際、
トートーメーの継承法には二種類あることを知るべきだ。それは授かりと預かりである。預かりの意味では、女性でも誰でも、その時点で相当と思われる人が継いでよいというか、それしか方法は無いといえよう。
その証拠も最近になって多く発見されてきている。それが、1898年の明治 民法施行によって「家父長制」が流入したため、トートーメーの継承(=財産の相続)が長男に限定されるようになった。つまり、トートーメー継承が男系長子 相続となったのは、長い歴史の中で明治民法の施行以後で、当たり前のように言われている継承ルールは実はその際に「作られた」ものであった。その意味で は、現行民法が1957年に沖縄に適用された際にトートーメー継承ルールも変更されるべきだったと言えるかもしれない。もちろん、変更がなされなかった背 景には、ジェンダー問題があることは推測できるが、ここではその考察については割愛する。
トートーメー継承は、家族の悩み事、困りごと、不幸や病気の解決を目的とするものなので、そのような民法がどうのこうのというものではない。
4-2 トートーメーの今日的問題
次に、トートーメー継承に際して生ずる問題について見ていく。
トートーメーの継承については、上記2②でも見たように、旧民法の影響を強く受けている。したがって、妻は社会的に無能力者であるとみなされ、財産管理権 を有しない。そのため、夫が死んだあと、妻は居住していた家やその中の財産を(理論上)失うこととなる。長男がこれを継ぐことになるが、長男が遠隔地に居 住しており、妻がこれらの財産を承継する方が都合がよい場合でも、やはり長男が包括的に財産を承継するとされる(報告者注:ブラジルに住んでいた長男が、 トートーメーを継承するに際し、わざわざ帰国させられた、という話も聞いたことがある)。
また、娘に継承させてはいけないというタブーについても、問題が発生している。もちろん、位牌を継げないこと自体ではない。例えば、長男、長女をもつ夫婦 が離婚し、父親が長女を、母親が長男を引き取った後に別の男性と再婚したという事例において、この長男は、男系長子相続制度の下では、もとの父親からトー トーメーを継承し、その墓に入ることになるのである。そして、厳格には、離婚したはずの母親も、また「夫婦一体」の下、下の夫の墓に入らなければならない と解せられるのである。
しかし、いくら慣習とはいえども、不都合も度々生じるだろうし、実際、新民法も施行されて久しい。なぜそれがここまでトートーメー継承のルールが継続して いるのだろうか。そこには「祟り」の存在がある。実際、日常生活において、何か望ましくないことが起こった際にユタに相談に行くと、トートーメーの取扱が 正しくないことを指摘され、それによる祟りであると言われるケースも多いのだという。一度そのように言われると、何か少し悪いことがおこっても、全て祟り が原因ではないかと杞憂してしまうこともあろう。面白いことに、ユタに相談に行かない人や、そもそも財産がない人に関しては、トートーメーに関してのトラ ブルはあまりないのだという。中には、何とか祟りに結びつけようとして、「あなたの家族が交通事故に遭ったのは、2軒隣の家のトートーメーが正しく祀られ ていないから」という回答をしたユタもいるという。もちろん、全てのユタがそのような回答を行うわけではないが、「祟り」という正体不明のものをちらつか されると、長男以外が継承できなくなってしまう心理になるのも無理はない。また、西洋医学的な見地からは、ユタのもとに相談に行くのは多くが女性、それも 更年期であるため、更年期障害に伴う精神的不安定とあいまっているのではないか、という見方も出ている。実際、不安なことが生じた際、ユタではなく市など が設けているカウンセラーや専門アドバイザーなどのもとに相談に行くようにしてから、トラブルが少なくなったというケースもあるようではある。その意味 で、結局は何を信仰するか、という問題でもあるだろう。
ところで、沖縄は戦争にまつわる独特の(本州とは少し異なる)歴史を伴うだけに、遺族年金をめぐるトラブルや軍用地料の支払いをめぐるトラブルが多い。 「5補遺」のところで紹介する事例も、軍用地に接収された共有地の入会権をめぐる問題である。その意味において、これらはトートーメーの、戦後問題として の生臭い側面でもあろう。
また、トートーメー(=財産)継承ルールが「慣習」とされ、それによって生じている問題も少なくない。自治会組織の会則をめぐる問題や部落名簿の記入方法をめぐる問題など、一見トートーメーとは関係のないようなところにまで問題は派生しているようである。
4-3 トートーメーの「超」今日的問題
ここでは、近年におけるトートーメー継承についての話題を見ていくことにする。
近年では、「夫婦別姓」や「同性婚」といった、これまで考えられてきたものとは異なる枠組みをもつ「家族」が話題になっている。例えば、同性婚の場合、こ れまでのトートーメー継承のルールではどう考えても対応できない。一つの家に零、または二つのトートーメーが存在することになるし、長男はもとより子ども を生むことができないので、継承させることも不可能である。これらに対しても、「祟りさえ恐れなければ大丈夫で、気持ちの問題です」と宮城様はおっしゃ る。
ところで、「祟り」とは言うものの、都市部を中心として、カウンセラーや仏教系の寺院が増え、ユタよりもそれらを利用する人が増えた関係で、少しずつ祟り が恐れられなくなってきているとの話もあった。特に、仏教系の僧に祟りの話をすると、「親が子を祟るはずがない」と言われ、安心する人も多いという。
女性がトートーメーを継ぐことについては、新聞紙上で論争になったこともあったが、現在でも、賛否両論がある。理由付けは様々ではあるが、大まかに言え ば、長い歴史の中で男系長子相続になったのは最近のことであり、また慣習といえども時代に適合させることは必要であるという意見と、しかし慣習は慣習なの だから仕方がない、何でも今風に変えればいいというものでもないという意見の対立である。そもそも二者が用いる「慣習」という用語の定義が異なるのだか ら、意見は平行線をたどるのは当然である。これについては「5 補遺」の部分で解説する。
もちろん、トートーメーそれ自体は問題の原因ではなく、その取り扱い方に原因があると見てよいだろう。宮城さまもおっしゃるように、トートーメーの慣習的側面と、相続という法的側面を切り離して考え、議論することが必要であろう。
5.補遺
我々が取材を行ったちょうど前日(9月7日午後)、福岡高裁那覇支部において、トートーメー継承問題に関係のある訴訟の判決が出されていた。
この裁判は、米軍用地に接収された沖縄本島北部の共有地「杣山」の入会権者でつくる「金武部落民会」の会則の、慣習を理由に原則として会員を男子子孫に限 定している条項の有効性などを、同地域に住む女性子孫でつくる「人権を考えるウナイの会」の26名が原告となり争ったものであった。一審の那覇地方裁判所 の判決では、女性側の請求を全面的に認める判決を言い渡し、これに対して被告の部落民会側が控訴していた。
福岡高裁那覇支部の窪田正彦裁判長は、「金武部落の慣習が公序良俗に違反するとまで認めることはできない」として、一審判決を取り消し、女性側の請求を棄却する判決を言い渡した。
この判決には、留意すべき点がいくつかある。
まず、この判決がトートーメー継承ルール一般について「公序良俗に違反するとまで認めることはできない」と言っているわけではないという点である。もちろ ん、金武部落の慣習が詳細まで、一般的なトートーメー継承ルールと同じである可能性も否めないが、しかし、その場合であっても、当判決が「金武部落の」と いう限定をつけており、また、あくまでも入会権者でつくる部落民会の会則をめぐる問題でしかないのであるから、一般論としての継承ルールまでが完全に合法 であるなどという帰結は、当然に成立しえないのである(さらにこの判決は「違法ではない」と言っているのであって、積極的に「合法」だと述べているのとは 異なるのは言うまでもない)。
また、「慣習」という言葉にも注意が必要である。言い換えるならば、何をもって「慣習」とするか、という定義が非常に難しい。上でも少し触れたが、もし慣 習の内容を「現在において一般的に信じられている風習」とするならば、ここでの慣習は明治民法以降の男系長子相続であって、その前にいかなる長大な歴史が あろうとも、それは「慣習」ではなく単なる歴史的事実であることになる。一方、慣習の内容を、本来その慣習があるべき姿や歴史的意義(言い換えるなら当該 慣習のレゾンデートル)を含めて解するならば、トートーメー継承は女性も可能であるという帰結になる。
なぜこのような点についてこだわる必要があるかというと、それは慣習が法的拘束力をもちうるからである。例えば、民法897条では、祭祀供用物について は、慣習に従って祖先の祭祀を主宰すべき者が承継することになっている。ここで言う祭祀供用物とは、位牌としてのトートーメーも含む。もちろん、位牌とし てのトートーメーを継承する者に全財産を相続させる規定はない。しかし、いくら位牌それ自体は男系長子相続にして、それ以外の遺産は現行民法に従うと解釈 したところで、先に見たように「祟り」などとの関連で、結局は位牌をもつ者に財産を譲ることになりかねないし、やはり象徴的な意味を持つ位牌としてのトー トーメーの継承先が誰になるかは依然大きな問題として残り続けるであろう。だからこそ、慣習をどのように解釈するのかは重要になる。
さて、判決の留意点の三点目は、原告側の根拠には「平等原則」が挙げられているが、果たしてそれでよいのか、という点である。確かに、一見すると憲法14 条の平等原則違反である(ただし憲法の私人間効力という別の問題もあるが、ここではその議論は割愛する)。ただし、生活の一部として、このいわゆる「慣 習」が溶け込んでいる以上、表面的な平等問題として解決することはできないのではないか、という疑問である。むしろ、女性がそれによって幸福に生きること を妨げられているという点で、13条による幸福追求権からのアプローチの方がより本旨にかなっているように思う。細かい問題、それもいずれのアプローチも 同じようにも見えるが、平等原則違反とするのでは、宮城様がおっしゃるように単なる現代のジェンダー問題のようになってしまう。だからこそ当該慣習が公序 良俗に反するとまで認めることはできないという判決が出されたのであろう。平等原則違反からのアプローチでは、つまるところ問題が、当該慣習に法的拘束力 を認めるか認めないかという点に集約されてしまい、表面的なところで終始してしまうように思えてならない。幸福追求権からのアプローチならば、慣習のもつ 意義やその変容、さらには女性側の生き方というより深い問題までを扱うことができたのではないかと思うのである。
以上、この判決についての留意すべき点を見てきた。
思うに、慣習とは本来、柳の木の枝のようなものであるはずである。芯はありながら、周囲の状況(つまりは社会の状況)に合わせてしなやかに動き、しかし折 れることはない。私自身は慣習を、その歴史的意義も含めて解すべきであると考えているが、たとえ現在一般的に思い込まれているものを慣習であると解し、 トートーメーは男系長子相続であるべきだと考えるとしても、ある程度の柔軟性を持たせ、場合によって女性や長男以外の者による継承も可能とすべきであろ う。そうしなければ、いつかは本来守るはずであった「家柄」や「祖先」をいちどきに失うことになりかねないのではないか。
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