2004年9月16日:初出し
2008年(平成20年)4月21日(月):旧ブログより移動
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今年の5月にアメリカでデビッド・レーマー(38歳)が自殺したと報じられた
。それは、
一九六五年、彼は男児の一卵性双生児としてカナダで生まれた。生後八カ月の時、受けた包皮切除手術が失敗。悩んだ両親はジョンズ・ホプキンス大学病院を訪ね、当時、性科学の権威として脚光を浴びていたジョン・マネーの勧めで、性転換手術を受けさせることを決意する。 六〇年代当時、半陰陽の成人に対する性転換手術は盛んに行われていたが、正常な男児を女児に性転換したという例はなかった。マネーはこれまでの半陰陽者の 研究症例から、「男か女か」という性意識は生得的なものではなく、生育後の環境が性を決定すると仮説を立てた。男か女かという性のアイデンティティーが確 立する、性の自己認知の門が開かれている二歳までであれば、性を自由に変えることができると主張していた。
マネーが自説の正当性を証明するためには、正常な性器と神経系統を持った男児に性転換手術を行い、成功事例を得る必要があった。当時、これは医学的な冒険だった。マネーの言葉に説得された両親は、六七年夏、一歳十カ月の双子の兄を医学的実験に委ねることとなった。
当然、男の子を女の子として育てるという医学的実験は、マネーの理論通りには展開しなかった。性転換手術の後、両親はブレンダと名付け、ドレスや人形を与 え、懸命に女の子らしくつくり上げようと試みたが、しばしば男の子っぽいふるまいに悩まされ続けたという。後に「双子の症例」の欺瞞(ぎまん)を暴いた衝 撃の書・『ブレンダと呼ばれた少年』(ジョン・コラピント著)で、双子の弟のブライアンは「ブレンダにはまったく女らしいところがなかった」と後述してい る。女の子らしさをまったく欠いていたにもかかわらず、科学者マネーはブレンダの成長記録を正しく見ることはなかった。
というのもである。男(女)らしさ(ジェンダー)というのは、生育環境で決まるという考え方が否定されるような結果となっている。日本のフェミニズムで は、ジェンダーは社会的・文化的に決定されるものとし、それは解消可能であるとするジェンダーフリー論が盛んであるが、これも、この結果からすると大いに 疑問である結果となるであろう。
その子の両親が女の子としてして育てるという努力を「
性転換手術の後、両親はブレンダと名付け、ドレスや人形を与え、懸命に女の子らしくつくり上げようと試みたが、しばしば男の子っぽいふるまいに悩まされ続けたという」が、果たしてジェンダーとはその程度のことで決定できるものかどうか、きわめて疑問である。また、デビッドに性転換手術を行ったジョン・マネー医師は、『ブレンダと呼ばれた少年』の著者コラピントによれば、
マネーの原体験についてこう書いている。「鳥を無慈悲に殺す父親を見て、『野蛮な男らしさ』に 対する嫌悪感を生涯抱き続けた」と。八歳の時、父親の死以後、母親や未婚の叔母に囲まれ、女性的な環境で育てられたマネーは、「私は自分が男であることに 罪の意識をおぼえ、苦しんだ」と吐露。さらに「家畜だけでなく、人間の男も誕生時に去勢されたら、世界は女性にとってより良い場所になるのではないか」と 記し、自分の性に強い否定感情を抱いていたと思われる。
ということであるようだ。このような環境の中で苦しんだであろうマネー自身が女としての性自認があるのならば、環境によって簡単に変わりうると言えるかもしれないが、どうやらそうではないようであると考えられる。
デビッドのようなケースが他にないものかというと、そうでもないようである。
ジョン・コラピント著「ブレンダと呼ばれた少年」についてによれば、
マネーの実験が失敗に終わっていたことが明らかになって以来、「性自認は生まれつき決定されて いる」との説が有力となっているが、これにも反例は存在する。例えば、Bradley SJ, Oliver GD, Chernick, AB, Zucker, KJ (1998). "Experiment of nurture: Ablatio penis at 2 months, sex reassignment at 7 months, and a psychosexual follow-up in young adulthood." Pediatrics, 102(1): e9. によると、ブルースと同じく割礼時の事故でペニスを失った男児が手術を受けて女児として育てられた例で、ブルースとは逆に26歳となった今も普通の女性と して生活している(性自認が女性である)人もいる。
ということもあるようなのだ。となると、性自認の問題は、まだまだ決着がつくものではないといえる。どのようなことで性自認は決まってくるのであろうか・・・このことを考えてみることとしたい・・・
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