2004年9月17日:初出し
2008年(平成20年)4月21日(月):旧ブログより移動
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前回からの続きを考えてみよう。
性自認は自分がどの性に属するかの認識である。この認識は先天的なものか後天的なものか。ジョン・マネーらのような人体実験的な結果は例数がないので、な んともいえないのが現実である。そんな状況であるにもかかわらず、フェミニズムはジェンダーフリーの根拠に取り入れたりしている。全く学問的姿勢がなって いないといえる。おっと、話がそれてしまった(^^
注意すべきことは、人間の自己「認識」のメカニズムである。自分が何者かであるかという認識は、常識的には、自分自身で決めることはできないものである。 他者とのかかわりを通して認識していくはずのものである。この辺の考え方が、性自認は後天的であるとするところのものであろう。
もし先天的であるのなら、何某かの原型・元型(笑)的なものが、構造化されていることになる。このあたりのことは、
ここにまとめられている。
いずれにしろ、よく分かっていないのが現状である。このような中で何が言えるのか。何も言えるわけがない。しかし、人体実験は不可能であるから、残された道は心理的なアプローチのみである。
事例としては、例えば、自分の生物学的な「性」は「女」であることを認識しながらも、それを嫌悪し自傷行為などに至ったりすることがある性同一性障害と呼 ばれるものは、心理・家族療法可能な事例が存在することを考えると、後天的に定まるといえる要素もまたちゃんと存在するようである。
ひとつの見方としては、脳科学と心理学ではアプローチ方法が全く異なり、アプローチに必要な学問的方法も異なり、という事情があるので、別個に切り離して検討すべきではないだろうか。そして、成果が上がり次第突き合せてみればよいのである。
心理学においては、心性単一性の仮定を前提とするのが普通である。人間の心的装置は時代や文化を越えて人間に固有であり、同時にすべての人間に関して基本 的に同じであるする前提のことである。ということは、心理学的には、男も女も同じ心の構造を持っていると考えるわけである。
ちょっと話はそれるが、文化心理学と呼ばれる分野においては、この心性単一性の仮定をおかない考え方をする傾向が見られる。
京都大学の北山らがそうである。東西の文化比較を行ったりしているが、実際には、この論文に示されていることは、心性単一性の仮定を採用しても可能なことである。このことはいずれ述べる予定である。
話を元に戻そう。心的装置が男も女も同じものであると仮定するなら、日常生活で見聞きされる男らしさ、女らしさというものが、どのような形で形成されてい くのか、ということを明らかにする必要がある。明らかにした上で、例えば性同一性障害などに適用して良い結果を得ることができるならば、後天性であること のひとつの妥当性を得ることができる。
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