2008年(平成20年)3月4日(火) 旧ブログより転載・加筆
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ダブルバインド(二重拘束)は、グレゴリー・ベイトソンが提唱した概念で、相矛盾するメッセージが同時に伝わることにより混乱してしまう現象を言う。これは、かつては、分裂病(統合失調症)の原因とも考えられた。
日本文化においては、このダブルバインドに相当する現象が「カカイムン」としてとして伝統的に認識されている。カカイムンとは「憑き物」とでも言えようか。カカイムンとは、
沖縄語(古代大和語との関連が深い)で、「憑り者」という意味である。
相矛盾するメッセージが伝達されるのは、親密な関係にある二者間である。例えば、まだ他人同士である男女 のカップルでは互いに「愛してるよ」という言葉はそのまま素直に相手に伝わるであろう。そして相手も「私もよ」といったことになる。しかし親密になると、 例えば結婚して夫婦生活を続けていくうちに、「愛してるよ」と言っても「え?何で?どうしたの?」といったことになり、混乱してしまうことがある。言葉が そのまま伝わるのではなく、この人は何で今頃こんなことを言うのだろう、といった疑念を生んだりする。
親密な関係になると、お互いの言葉遣いそのものが変化する。他人の時には他人行儀な言葉遣い(当たり前か(笑))をするわけで、丁寧な言葉を使うのが普通 である。しかし、親密になればなるほど、言葉遣いはぞんざいになってくるものだ。ぞんざいにならねば逆に気持ち悪くさえなるものだ。単純にいえば、言葉遣 いが「悪くなる」わけだが、当事者にはそれが心地良いのである。関係が親密になるということは、互いに甘えることができる状態になるということで、そうで ない他人の関係とは異なった状態になってしまうのである。
まぶい分析学においては、ダブルバインド(二重拘束)は、次のようにして発生するものと考えている。
親密な関係、すなわち互いに甘えあうことが許される関係にあるとき、話し手が相手に甘えたくても甘えられない状態にあるというような場合、その程度に応じ て、すね、僻み、恨み、不貞腐れ、自棄糞の心意が発生するので、発する言葉に「嫌味」がこもったりすることがある。そうすると、聞き手は、言葉どうりに受 け取っていいのか、それとも逆にバカにされているのか、と混乱してしまうことになる。このように、話し手の心理状態の如何によって生じるダブルバインド (二重拘束)を第一種二重拘束と定義している。
逆に、聞き手が相手に甘えたくても甘えられない状態にあり、すね、僻み、・・・、の心意が発生しておれば、相手がいうことを素直に受け取れず裏読みをして しまうことがある。このように、聞き手の心理状態如何によって生じるダブルバインド(二重拘束)を第二種二重拘束と定義している。
第一種二重拘束あるいは第二種二重拘束の状態にあるもの同士が会話を続けていくと、どちらも甘えたくても甘えられない状態になり、はちゃめちゃなコミュニケーションとなってしまうであろうことは想像に難くない。このような状態を第三種二重拘束と仮に名付けておこう。
ところで、以上のようなことを日常生活において会話のたびに自覚することは、とても面倒である。それだけでもノイローゼの原因になってしまいかねない。そ こで単純化しておくこととしよう。『親密な関係にある者同士においては、言外に正反対のメッセージが伝達される』とし、これをまぶい分析学における二重拘 束の定義とする。これだと日常生活にも簡単に応用できるものとなる。
親子はもともと親密な関係にある。そこで例えば、親が子供に『勉強しなさい』と言い続けるときは、言外に『勉強しなさい』の裏のメッセージとして『お前は 頭が悪い』といった意味合いが伝わり、子供は嫌気がさすようになり、『(俺はどうせ頭が悪いんだから)勉強なんてしない!』となってしまい、親の発する メッセージと全く逆の状態が発生してしまうことになったりすることが知れるだろう。
二重拘束的人間関係に陥ってしまうと、それから脱却することはなかなか困難である。これが原因となって生じている心身の病は不治の病であるということをたびたび聞いてきた。それはとんでもないことである。方法はあるのだ。
ところで、この二重拘束というものの性質は、次のようにも表現できるだろう。これは相手の言葉に嫌味が伴うようになると考えても良いわけで、ちょうど、食 べ物はそのまま放置すると腐っていく性質を持つが、人間関係も、どんなにほほえましい親密な関係も、そのままでは腐っていくということである。食べ物の保 存については、塩を用いたり、干物にしたり、あるいは冷蔵庫を用いたり、ということで可能になっている。ところが、人間関係が次第に腐っていくものである ことは経験的に知っていることではあっても、防腐技術が発達していなかったと言ってよいだろう。
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