まぶい(たましい)はすなわち基本的欲求である。基本的欲求というものは。良く考えてみると、提唱者のマズローは言及していないけれども、自分自身では充足不可能であるといってよい。まさか!では生理的欲求すなわち食欲や排泄欲などは自分で充足できないか?という反論が来そうだ(笑)。それでも、乳幼児期にあっては、生理的欲求の充足は「母親」の存在が不可欠であることはいうまでもない。母親を介して充足されるというものなのだ。
さて、基本的欲求の充足には他者を必要とするというのが基本である。ここに「甘え」が関与することは容易に想像がつくだろう。「甘え」とは何か?土居健郎は依存欲求としたが、これでは分りづらいので、表現を変えてみよう。まぶい分析学においては、「甘え」を次のように定義する。すなわち、
【 甘え】の定義
自分でやればできるのに、(あえて)他者の手を煩わせようとする行為
すると、幼児と母親との関係を見ると、確かに、生理的欲求に基づいて甘えている、ということを確認することが出来る。そんなことは意識せずとも、日々、幼児と母親はそんな関係にある。ここで、子育ての本質を定義する。
【定義】
子育ての本質:子の心に生じる不快感を除去し快感に変える一連の作業
子育てというのはまさにこれに尽きるのではないだろうか?子が泣いたらあやし、ということの繰り返しである。実は、この繰り返しを行うとき、
不快感・・・母親・・・快感
の三要素は条件反射として関係付けられるようになる。つまり、子は不快感を覚えると母親を求め、母親がいると快感つまり安心感を覚えるようになるということだ。これは大人である我々もそういう性向を持っていることに気付くだろう。この条件反射を、条件母性反射と定義しよう。
条件母性反射は、生後に母親が子育ての本質を半年前後も続けると現れるようになる。子に条件母性反射が形成されたかどうかは、「人見知り」が現れることで確認可能である。この人見知りが現れると、換言すれば条件母船反射が形成されると、子はもっぱら母親に甘える、という現象を呈するようになることは子育てを経験した人ならば分るであろう。
子がもっぱら母親に甘えるようになると、理論としては、次の二つの方向に進むことになる。ひとつは、(1)マズローの欲求階層論に沿った考え方、もうひとつは、(2)子の性別による母親への甘えの心理の違い、である。
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