先だってのNHKスペシャル、第三集、腰痛 腰痛は二足歩行人類の宿命か(二〇〇八年10月5日(日)
放送)は、面白いことに、腰痛が祖先祭祀を行うことによって治癒することがある、ということを説明可
能とする内容を含むものであった。日本やアメリカ、カナダの大学の研究成果では、従来から言われてい
る椎間板の機能に加え、心理的なストレスが腰痛に関係する場合がある、ということで整形外科と心療内
科の共同研究にまで発展しているようだ。
特に興味を引いた知見は、外部から腰に痛みを与えた場合には、脳内にその痛みに対応した反応が生じているにもかかわらず、腰痛の場合、痛み刺激がないにもかかわらず、脳が勝手に痛み刺激に反応している様子が示されたことであった。これは、たとえば足を切断したとき、足は既に無いにもかかわらずに足の痛みを覚えて苦しむ、といった現象と似ているのではないか? いずれにせよ、心因性の問題だと言えよう。
祖先祭祀システムにおいて、祖先からの知らせという基本概念がある。その知らせは、民間伝承によれば、足の裏は自分自身
(一代
)、くるぶしは親
(二代
)、膝関節は祖父母
(三代
)、股関節は曾祖父母
(四代
)からの知らせというようになっている。また、体の右側部分はシジ方、体の左側部分はナシミ方からの知らせ、といわれている。この原則は、なかなか面白いというか、臨床経験からすれば、間違いとは言えないくらい現実を表現している。シジ方というのは、夫方あるいは父方という意味であり、ナシミ方というのは、生家の方あるいは母方という意味である。すると、腰痛の場合には、五、六代の祖先からの知らせとなろうか。
実際、腰痛を訴える人は、自分も含めて、祖先との関係に問題がある場合が多い。何が問題かというと、親と子の心の絆が形成されておらず(親子間に信頼関係が成立していない)、甘えたくても甘えられないという心意を抱えたまま生活を送っていることが多いのだ。信頼関係が成立していない原因として挙げられるものは、長男押し込め(チャッチ・ウシクミ)の心理機制が代表的なものだ。
長男押し込めは、女性優位・男系原理のパラダイムにおいて、長男が親を継承できない状況をいう。つまり、長男が社会的に一人前になれなかったか、親に忌避された状況にある場合だ。そのメカニズムは、第一子が第二子が生まれたために母親の愛情を奪われる、ということを経験することによるものだ。第二子への嫉妬から退行もしくは越行し、母に甘えることが出来なくなり、さらに退行、越行しと悪循環を形成し、精神的成長が阻害されてしまうことを言う。長男押し込めは、人間に普遍的に起こる可能性がある現象で、まぶい分析学ではチャッチウシクミ・コンプレックスと称している。エディプス、アジャセ・コンプレックスは文化(依存)的コンプレックスと言えるが、チャッチウシクミ・コンプレックスは汎文化的コンプレックスのひとつである。
チャッチウシクミ・コンプレックスは親子間関係から生じるが、なぜそれが祖先との関係を持つのか。それは、継降(チヂウリと読み、別表現では遺伝趨勢、多世代伝承のこと)というものが存在するためだ。サルを用いた動物実験からも確認されているが、親に甘えることができなかった者は自分の子を甘えさせることができない、ということがあるためだ。自分は甘えることができずに育ってきたのに、子が自分に甘えてくると、嫉妬心を覚えてしまい、虐待的行動に出やすくなるためだ。つまり、チャッチウシクミ・コンプレックスは、先祖代々から子々孫々に渡って伝達されていく性質を持つのだ。だから、自分を第一代として、五、六代の祖先がそのような状況にある、ということは別に迷信として騒ぐほどのものではないのだ。
ところが、腰痛は何が何でも五、六代の祖先からの知らせと考えることが出来るかといえば、現時点では、そう断言するだけの根拠は無い。ただ、腰痛は祖先からの知らせと考えても差し支えない場合がある、ということは言えるということなのだ。これ以上のことについては、今後の研究の発展に待たねばならないが、これだけでも格段の進歩と言える。
では、祖先祭祀を行うことで腰痛は治る場合があるということになるわけだが、どのような祭祀が必要なのであろうか。これについては祭祀の方法を詳しく論じる必要があるけれども、四半世紀の研究から言えることは、「苦揺解き」を基本とするということははっきりしている。その苦揺とは、実存欲求不満ともいうべきものである。この実存欲求不満が先祖代々から子々孫々に渡って続いているものである。自分自身も、先祖代々から子々孫々に渡る、悠久な時代の流れの中の一員なのである(一員に過ぎないと表現したほうがいいか?(笑))。
実存欲求不満が苦揺であるなら、真の先祖供養とは何か、ということも議論可能となってくる。PR