ネットサーフィンをしていたら、デンマークのコペンハーゲンで、公営プールでのトップレス遊泳が認可されたというニュースに遭遇しました(^^; デン マーク・コペンハーゲンは、ボクがイタリアはナポリでの地中海医用生体工学会議に参加させていただくことができ、その間、一ヶ月ほど、欧州諸国をユーレイ ルパスを使って回りました思い出があります。その思いでとは(笑)、コペンハーゲン駅からホンのちょっといくと、ポルノショップですよ(^0^)。まあ、 それはさておき、書き続けることにします(^^;
カナダのバンクーバーにあるブリティッシュ・コロンビア大学に2年余、客員研究員として過ごしましたが、大学の裏にはヌーディスト・ビーチがありました (笑)。また、大学祭では、毎年、女学生がオールヌードで馬に乗り大学構内を・・・というのがありましたが、僕が行った年に廃止になってしまいました (笑)。
それはともかく、海外の女性団体は日本の女性団体と方向が違うというか、ストレートいうか、いや、参ってしまいますね(笑)。さて、まじめに考えてみると、これは『恥じらい』あるいは『恥ずかしさ』の概念の有無に関連するものと思われます。
『恥ずかしさ』というのは教育で実現していく特性ではなく、いつの間にか自然に身についているといってもよい特性ではないでしょうか。しかし、そこにはあ る種のメカニズムが働いていることがマウイ分析学で明らかになりました。恥じに関するカテゴリの記事を参照していただければと思います。
あることをしようとするとき、恥ずかしさの感情が出てくるのは、その行為に甘えの感情が付着しているときです。人前で『甘え』を見せると恥ずかしさを覚え る、という人間の性質です。平気で見せることが出来る人は『恥ずかしさ』を覚えないか、覚えるにしても、注目を浴びたい、認められたい、という心意がそれ に勝っていると考えられます。
いずれにせよ、子が親に甘える、ということを芳としない西欧での生活様式は、このような風潮を生むということになります。
以下は、
http://chiquita.blog17.fc2.com/blog-entry-3118.html からの引用です。
―
The Sun―
一部既報ですが、デンマーク、コペンハーゲンの公営プールで、女性がトップレス姿で遊泳することが認可されました。
これは、コペンハーゲンの「Culture and Leisure Committee―直訳すれば、レジャー委員会」での採決により圧倒的多数で決まったもので、男女同権のなかでも、女性にだって上半身を晒す権利がある と気炎をあげる活動団体、 「Topless Front」のキャンペーンが功を奏したもの、とサン紙は伝えています。
「Topless Front」でこのキャンペーンリーダーに携わっているアスリッド・ヴァンさん(20歳)はこう言います。
「女性の胸を性的なものと決めつけたのは、女性じゃないわ。だっておかしくない? 男性は胸を隠さないでもプールから締め出されることはないのよ。私たち だって上半身裸で泳ぎたいわよ」「Topless Front」はそもそも、スウェーデンでの同趣旨の団体、「Just Breasts」に影響をうけて設立されたものだそうで、団体ではプールでのトップレスを勝ちとった後は、サッカーの試合でシャツをまくり上げて、ユニ フォームの交換をする権利も得ていくと述べています。
今回のコペンハーゲンでの採択をうけて、団体ではヨーロッパ中にこうした運動を巻き起こすことを画策しているようですが、たとえば2006年、パリでは セーヌ河畔でトップレスあるいはトング(G-スト)で日光浴をしていた女性らが捕まって、38ユーロ(約4,180円)の罰金を科せられるなど、まだまだ 現実的には厳しいのかもしれません。
なお、お堅い国と思われがちのカナダでは、トップレスでのプールの遊泳が認められているそうです。
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これについては、
『痛いニュース』でも扱っていて、そこでは2ちゃんるの反応というのがあり、参考になります。
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