この世には、やってほしくないこと、というのがあります。飲酒運転に、殺人、泥棒、・・・、数え上げればきりがないと言えますね。そして、いわゆる良識的 な人は、「・・・はやめましょう!」という運動を起こしたりすることがよくあります。しかし、世の中は皮肉なもので、そういう運動が勢いがあればあるほ ど、逆効果になる場合があると考えられるのです。皆さんは、いかがでしょうか?
例えば、殺人があったとき、命は大切に!ということが語られます。感動し、涙を流して、それを聞いたりしますね。そんなことはするまい!と決心することで しょう。でも、いったん、自分が究極の状態に追い込まれてしまい、相手が憎くて憎くてしょうがない、というときには、皆がそんなことはするまい!と決めた ことであるほど実行することに意義を見出したりします。
国家間でも、やたら苦しめられたりすれば、窮鼠猫を噛むと同様で、戦争が勃発したりします。この場合は、戦争反対!を叫んでも何の効果もないでしょう。
人間の心の状態には、基本的に、二つの状態があると思います。それは、周りの人々や社会に甘えることが出来る(周りの人々や社会に受容されている)状態と、そうではなく、甘えられない状態があるでしょう。もちろん、その両極端の中間状態も色々あることが考えられます。
甘えられる状態にあれば問題ありません。周りの人々や社会と信頼関係が形成されますし、周りの人々や社会に対して忠誠心さえ醸成されます。ところが、甘え たくても甘えられない状態に置かれますと、人間の心には、その程度と期間により、拗ね、僻み、恨み、不貞腐れ、自棄糞の心意が発生します。これらの心意が 発生すると、自分だって、周りの人々や社会に甘えたい氏受容されたいのに出来ないわけですから、ここに嫉妬心が芽生えます。嫉妬がひどくなると、憎悪心の 塊りになります。
こんな状態の人には、・・・はしないようにしましょう、といったことは、それをすれば相手のもい知らせることが出来る、といった心境になります。ですか ら、そんな状態の人には、そのような運動を行うことは、抑制する心を与えるのではなく、逆にあおっていることになることに注意すべきであるといえるのでは ないでしょうか。こんなことに気づいた上で、色々なキャンペーンは張らないと、何の効果もないのならまだしも、逆効果になるわけですし、単なる偽善者、偽 善的行為にしかならないのではないでしょうか。
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