ここで、「越行」は、現代の社会問題となっている現象を理解するためのキー概念である、ということに注意しよう。例えば、安全欲求が充足されない子(親の不仲や不在)は、本能と考え られる「模倣」により、他者の行動を真似ることで、相手に甘えようとする行動であり、いわゆる「良い子」として振舞うことがある。このように、下位欲求の 未充足が上位欲求の表出となるのが「越行」である。逆に、ある未充足欲求が下位欲求の表出を見るとき、これが「退行」である。
「良い子」として振舞うには、その「良い子」であることが認められて良い関係を維持できれば良いわけだ。ところが実際には、ここがなかなか難しいようだ。例えば、家庭では「良い子」であるがゆえに、親は安心してかまわなくなってしまう、ということが多いようだ。
例えば、承認欲求を充足させるために「良い子」として振舞う、というのはかなりのエネルギーを使うようである。学校で褒められようと色々と頑張るのであるが、帰宅してから もそれを維持することはかなり難しいようだ。これは大人でも同じであり、職場で気を張って頑張っている人達は、家庭に帰るとまるで駄々っ子のような振る舞 いをする、というのは良く観察されるものである。そこでの緊張を家庭で取ろうとする努力(?)の表れとして、酒に逃げたりすることもある。
上位の基本的欲求(この例では承認欲求)を充足する行動は、それが越行で代理欲求として現れている限りは、その原因となっている未充足の下位の欲求(この 例では安全欲求)が充足されない限り、底なしの沼のようであり、充足されることがない。このため本人の行動は「がむしゃら」さが目立つようになる。かなり 無理をして頑張るといった状況である。そのため、受忍限度期間の10年前後が経過する頃には「燃え尽き」てしまうということになったりする(燃え尽き症候 群)。あるいはキレてしまったりするわけだ。受忍限度期間というのは、多くの相談事例から、我慢可能なのはおおよそ10年前後であるということに基づく。
その燃え尽きやキレルというのは、理論的にも臨床的にも防止することが可能である。学校や職場で頑張っている状態(越行)を維持するためには、家庭におい ては全く頑張らない状態(退行)するはずであるから、ここを受容して甘えさせてあげるのである。そして、人間の基本的性質は、この「うち」と「そと」の違 いの二重人格性が自然なものとして考えることである。
ところで、この「越行」は、社会的には、徒弟制度においてよく現れているといえる。技能の分野では、物事の習得には「10年」かかる、とよく言われる。そ れまでは、いわゆる丁稚奉公が当たり前である。丁稚奉公では給料は安いなどの理由で安全欲求は充足されない。そこで、一人前になったときの栄華の夢を与え (あるいは自分で描き)、つまり越行状態にもっていき、10年前後の修行が終わる頃に一人前としてのれん分けを行い、安全欲求を充足させるのである。
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