現代は少子化、都市化の傾向に伴い、親族関係の希薄化が危惧されるようになっている。そこで、孤独死という問題も散見するようになってきたが、これは今後の社会問題となるものであるに違いない。
故人に相続人がいない場合、そ の遺産は自動的に国庫に帰属することとが定められている。しかし、ここに特別縁故者と呼ばれる者がおれば、彼は遺産分与を国に申し立てることができること になっている。特別縁故者とは、法律上の相続人ではないけれども、生前、故人と特別の関係にあったもの、例えば、内縁の妻とか未認知の子とか、献身的に世 話をしたものといった具合である。
その特別縁故者になりえる例として「菩提寺」がある。ということは、檀家制度がない沖縄県においては、「門中」があると言える点に注目が必要だ。
門中とは、中国、朝鮮、ベトナム、日本(の一部、沖縄県)の漢字文化圏に見られる父系親族集団のことである(ウィキペディア)。少なくとも沖縄の門中は、その基盤は、儒教や道教、仏教といったものではなく、祖先祭祀システムすなわち祖先崇拝である。
祖先崇拝や門中の研究については、他の沖縄学と同様、「歴史」の視点からは研究がないとは言えないが、日常生活における意義といった、日常とのかかわり の視点からの研究は皆無であった。四半世紀にわたる研究から言えることは、仏教やキリスト教といった世界的宗教には劣らないどころが優れた点がある。その ひとつが、仏教やキリスト教は家族的視点を欠いているが、祖先崇拝は家族的視点そのものであることだ。祖先祭祀システムは、嘉手納基地内のメリーランド大 学での教育経験からは、世界に通用するシステムであることが確信される。
仏教には寺が、キリスト教には教会が、神道には神社があり、それぞれに住職、神父もしくは牧師、神職がいる。門中には宗家(ムートゥヤー、元家とも書か れる)があり、ムチスク(持職)がいるものだ。このように世界との対比、相対化が可能な沖縄のシステムであるので、現在は原始的段階に留まっているけれど も、今後の研究と発展が望まれる。そこには、孤独死した者達の苦揺(実存欲求不満のこと)を少しでも解いて差し上げることが可能かも知れない。
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