子供が性的な事件に巻き込まれないように、という配慮の元で、幼児期から性教育が行われる必要があるという主張があります。日本では
性教協(”人間と性”教育研究協議会)と 呼ばれる団体がそうですね。良く知られていると思います。わが国では、早期性教育には反対、慎重意見も少なくなく、したがって、これは国策と呼ばれるほど には普及はしていない状態であると考えられるのですけれども、お隣の韓国では、国策となってしまっているようです。それは、性犯罪がわが国よりも十倍以上 も高いという異常な事情によるものであると考えられます。
”特亜を斬る”というdamedakoreaさんのブログでは、韓国のこういった情報が良く掲載されます。最近の一例は、
性暴行大国、殺人を奨励?!と いうタイトルの記事です。他の記事も読んでみますと、やはり、子供達を性的な悪環境から守るためという形で、早期性教育が国策的に実施されているようであ り、性文化センターなるものも機能しているようです。しかし、このようなことは、実は性犯罪の助長にしか貢献していないのではないかと思われる節があるの です。このことをまぶい分析学的に考えてみましょう。これは恐ろしいことなのです!。犯罪を予防しているつもりが加担していることに気づいていないので す!。わが国でも他山の石とする必要があると思われます。
まぶい分析学は、その本質は一言で言えば、マズローの階層欲求論に退行、越行、代理欲求の概念を導入して拡張し、人間の"甘え"の心理を各基本的欲求と関 連させた、日本文化に基づいて西洋心理学を咀嚼、体系化するものであるといえます。その特徴は、分析を行うと同時に治療法が明示されるという点にあると思 います。これはフロイトやユングの心理学にはなかったものです。
子供達に性教育、特に性器教育とも言われたりするようなことを行うと、どういうことになるのでしょうか。子供達は、得た知識を、教育者が期待するような方向に利用できるのでしょうか?
性 的なことをクチにする、性的な行動を取る、といったことを人前で行うことには、普通は"恥ずかしい"という感情を伴うものです。恥ずかしいという感情は、 我々の行動に、普通は、抑制的に作用します。つまり、恥ずかしいから(人前では)できない、ということになるのです。ですから、そういうことを人前で平気 で行うような人がいるとき、それは、"恥知らず!"と呼ばれるようになるわけです(カテゴリー『恥知らず論と恥じの文化』中のエッセイも参照)。
幼 児期に条件母性反射の対象から生理的欲求に基づいた甘えを充足させてもらうことができたかどうかという経験は、言い換えれば、ハグすること(身体接触)や 性的行動に甘えという感情が付着しているかどうかということは、性的な言動を取るに際して恥ずかしさという感情が湧出し、抑制的になれるかどうかというこ とに関連する重要なことです。例えば、『食べる』という鼓動に甘えが付着していますと、人前で食べることには心理的抵抗を覚えてしまいます。この抵抗に打 ち勝つほどに空腹を覚えていないときは、恥ずかしさを覚えて人前で食べることが出来ないのです。
一般に、人前では恥ずかしさを覚えてでき ないようなことを、あえて人前で行うようにすると、"恥ずかしさ"という心の壁が低くなり、あるいはなくなってしまい、それを行うことの抑制が作用しなく なります。性教育も同じです。性器の名前を人前で言うには恥ずかしさを覚えてしまうものですが、早期性教育を受けた子供達は、スーパーで買い物をする親に ついていったときなどにも、性器の名前を大声で連発し(学校でそのように練習する(笑))、それを聞いている親のほうが恥ずかしくなったりします(笑)。
恥 ずかしさという抑制的に作用する感情の湧出がなくなりますと、そのような欲求が出たとき、それを充足しようとする行動が自然に出てきてしまいます。昼食時 間でないのにおなかが空いたので自分勝手に弁当を食べてしまう、ということもこういう行動のひとつですね。ですから、普通は性的なことは恥ずかしいので抑 制されるのですが、早期性教育を受けた子供達は、性的な行動の湧出に対して恥ずかしさというものが無くなってしまいますので、欲求が発生すれば自然に行動 化してしまうことになるわけです。
子供達は、各自の家庭での成育歴によって、性的行動に対して恥ずかしさを覚えることそうでない子がいる ことになります。早期性教育は、知識を与える代わりに、恥ずかしさという感情の湧出を奪ってしまう、言い換えれば、抑制心を奪ってしまうことになることに 注意をしなければならないと言えます。もともと恥ずかしさを覚えることが無かった子供達は、知識を得ることで理性的に抑制することを期待されるわけです が、性的な欲求が理性で抑制可能かどうかは、人それぞれではありますが、恥ずかしさという感情の助けが無ければ、不可能に近いのではないでしょうか。この ことは、結婚して数年も立つと、初めは恥ずかしさを覚えていたカップルも、恥ずかしさは覚えずに自然に求め合うということになりますが、これが自然であり ましょう。しかし、そのような状態において、性的欲求が生じたときに、抑制することが可能であるかどうかということになるわけですね。抑制することが可能 であれば、性的な事件などはそれほど発生はしないかと思われます。
このようなことを考えますと、性的な事件が多いからといって、早期性教 育に力を注ぐと、ますます性的な事件が、しかも子供達自身による性的な事件が増加することになります。damedakoreaさんのブログの記事からすれ ば、哀れにも、韓国ではこのようなことのどつぼにはまってしまっており、どうしようもないことが分ります。わが国ではこういうことにならないように十重の 注意を払いましょう!
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