2004年8月11日:初出し
2008年(平成20年)4月15日(火):旧ブログより移動
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長崎新聞ホームページ:佐世保の小6女児同級生殺害には、事件発生以来、ほぼ毎日のように、同事件関連の記事が掲載されている。しかし、残念ながら、ほぼ総ての記事が、真相が分からなくやきもきしているような状態である。
何度もここ「まぶい分析学」で述べているが、「越行」の概念さえ普及すれば、同問題の原理的な部分はほとんど理解できてしまうのに・・・と歯痒い思いでいっぱいである。
越行・・・その功罪で も述べたように、人間はある段階の基本的欲求の充足がなされないときには、それを別の基本的欲求の充足をさせようとする行動に変化するものだ。それは「模 倣」によって行われる。精神年齢が低くなるような行動であれば「退行」と呼ばれ、精神年齢が高くなるような行動であれば(これは「退行」の反対であるが適 切な用語が無い、すなわち世間に認識されていない!)、これを「越行」と呼ぶことにしている。精神年齢が高くなるような行動、すなわち「良い子」として認 識される行動である。
精神的発達を
マズローの欲求階層論的に見るならば、加害児童、被害児童共に、新聞報道からする限りは、安全欲求と基本的欲求が未充足状態にあると考えられる。加害児童の場合には「躾が厳しい」という環境下であったようだし、被害児童の場合は、母親不在でかつ母親代わりを家庭でしていたという。
安全欲求が未充足であれば、不安や寂しさを覚えるのであるが、その不快感を払拭させるため、承認欲求に基づく行動が現れることが多い。認められるため褒められるため、いろんな行動が活発に行われる。ここが「よい子」として現れる原点である。
しかし「良い子」として振る舞いはするものの、それは不安や寂しさを我慢したままでの行動である。こんなところに親や教師が気付く必要がある。しかし、実際には、「良い子」は安心して放っておかれるのが現実である。ところが「我慢」はいつまでもできるものではないのだ。
我慢の限界に達する時期になると、我慢し始めてから10年前後が普通のようであるが、急にやる気をなくしてしまったり(燃え尽き症候群)、キレやすくなったりする。あるいは、短周期で躁鬱を繰り返したりする。
今回の事件は「キレる」ということが関係していると思われる。不安や寂しさを抑圧しながら承認を求めている状態では、他者からの非難に敏感にならざるをえ ない。また、不安や寂しさを解消するには気の合う仲良しの存在が重要であるが、仲が良くなるにつれて、二重拘束という現象が必然的に発生し、相手から非難 されているような感じを覚えるようになるものだ。
また厳しい躾に耐えている「良い子」は、自由に振舞い子を見ると、どうしても嫉妬を覚えてしまう。キレた状態で嫉妬を覚えてしまえば、これはもう自分自身 をコントロールするのは、子供でも大人でも不可能といってよい状態である。自分の不安や寂しさという不快感をさらに強く覚えさせようとする存在の他者は、 自分がその他者から逃げるか、その他者に消えてもらうことでしか、対処法は考えられないであろう。
以上のようなことからすれば、子供の事件を防ごうとするならば、基本的には「越行」という状態を周りの大人が感じ取り、適切に配慮することの能力を培うことが基本であると考えられる。
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