これは『事例分析』の一記事ですが、多少のお笑い的な意味があることを御了承いただければ幸いです。
ネタ元は、
「ごくせんは不良を讃えるな」 和田秀樹さんがコラムで異論、5月24日12時15分配信 J-CASTニュースです。
テレビの娯楽番組に意見を点けているようなのですが、どうも多大な違和感を覚えてしまうのです。何か、今流行のモンスターペアレントの類のような感じさえ します。もちろん(笑)、論が通るところはあるので、多くの方がそうでないと思われると思いますが、、、、。ちょっと読んでみてくだされば幸いです。
「ごくせんは不良を讃えるな」 和田秀樹さんがコラムで異論
和田秀樹さんがごくせんについて書いた日経ビジネスアソシエのコラム
日本テレビ系の人気ドラマ「ごくせん」の一部内容について、精神科医の和田秀樹さんが雑誌コラムで異論を述べ、ネットで議論になっている。不良少年や不勉強を正当化するな、というのが和田さんの主張だ。
■「勉強をしている子の方が、不良よりはるかに安全」
「ごくせん」は、俳優の仲間由紀恵さん(28)扮する熱血高校教師「ヤンクミ」が、ワルの生徒たちに体当たりして更生させていく姿を描く。2002年、 05年と大ヒットし、08年4月19日から第3シリーズが放送中だ。初回に関東地区で26.4%の高視聴率を出し、その後も安定した人気となっている。
このドラマに、和田秀樹さん(47)が噛み付いた。和田さんは、日経ビジネスアソシエ6月3日号のコラムで、ごくせんについて持論を展開。現代版「水戸黄 門」と評されるのも分かる痛快なドラマだとしながらも、「看過できない内容があった」と述べている。それは、『秀才学校の生徒のほうが不良より性格が捻じ 曲がっているように描かれている点だ』という。
このニュースを見て、え?!はぁ?!と思いました。ドキュメンタリーや
ノンフィクションに噛み付くのなら当然だとも思うのですが、娯楽番組に?
そして氏の上のコメント、「秀才学校の生徒の方が不良より性格がねじ曲がっているように
描かれている点だ」というのにも、疑問を感じる。ドラマの設定なんだから、そんなに
噛み付くことか?!と思うのです。僕が経験した秀才学校のいやな点は、人を見下すことで
自分を維持するような点があることです。公然と表には表れにくいですが、裏には蔓延している
ような印象です。もちろん、尊敬に値する人たちもいます。
そして、和田さんは、こう問題を指摘する。
「(秀才が)勉強のできない人間を、『覆面+鉄パイプ』で『世直し』と称して襲うという設定である。この手の『秀才=悪』『不良=心はきれい』という図式は、ある種の青春ドラマのステレオタイプのようになっている」
問題にする理由として、和田さんは、進学校生徒の犯罪発生率などのデータを示し、「勉強をしている子の方が、不良よりはるかに安全」であることを挙げる。 そのうえで、「このような番組は勉強ができない人間の価値観を強化し、ますます格差を広げる結果になりかねない」と危惧し、番組作りを再考するよう求めて いる。
ここが特に、和田さん、モンスターペアレントと同じじゃないの?と感じる部分です。
この番組は、秀才=悪、とかそういう枠組みではないでしょう。勧善懲悪もので
あることがその本質ではないでしょうか?ピントがずれてますよね?
犯罪発生率のデータ?意味が無いですね。そして、勉強をしている子と不良(勉強そしていない子)
を対立させていますが、それはナンセンスでは?勉強しなければ不良とは言えないはず。
精神科医であれば、心の動きに着目した意見が欲しいと願うのは間違いでしょうか?
ごくせんは人気作だけに、和田さんの意見表明は早速、ネット上で話題になった。2ちゃんねるでもいくつかスレッドが立ち、「『ごくせん』は不良を助長する作品」「不良は圧倒的に悪い奴が多いだろ」と、和田さんに同調するような意見が多く寄せられている。
テレビの娯楽番組は、いつから娯楽の域を超えて、人間観教育の分野に入ってしまったのでしょうか?
それだけ、現在の人間は、もう自分というものを見失っているのでしょうか?
■秀才にありがちな欠点指摘する声も
一方で、異論もある。「優等生がほんとうに優等生ならいいが、腐ったことをいったりやったりする奴も多い」「受験競争の過程で挫折した人間が、その後どうなるかについて、 和田の視点は全く欠落している」といった意見だ。
異論をまとめると、優等生だって天下り官僚や悪い弁護士になっている、勉強だけでは創造力がなくなる、お金持ちが進学に有利な社会が悪い、不良はむしろ正義に敏感だから反抗する、勉強できない子はフィクションの中では主役になれる、などがある。
では、和田さんの言う秀才と不良の対立図式は、実際に子どもたちの間で広がりつつあるのだろうか。
これについても、学校現場で見方が分かれた。
「ごく一部に限られる」としているのが、学校裏サイトを日常的にチェックしている全国webカウンセリング協議会理事長の安川雅史さん。「ごくせんは、 最後は正義が勝つという設定です。しかし、秀才そのものが悪いとは言っていません。秀才でも悪いことをやっている子は、最後にやっつけられるというストー リーで終わっています。ですから、子どもたちも、重く受け止めないで、スカッとする番組として見ているのでは。裏サイトの書き込みで目立つわけでなく、影 響を受けているのは、思い込みの激しい子だけだと思います」
一方、東京・多摩地区のある市立中学校校長は、「現代型のいじめ」だとして、頭がいい真面目な子がバッシングの対象になることが多いと明かす。テレビで 金八先生がもてはやされた20年ほど前から言われている話だという。「中学時代は悪くてもいい、その後、立派に成長しているから、とメディアがドラマなど であおってきた影響でしょう。しかし、そんな子はごく一部で、実際は立ち直れない子がいっぱいいるんです。秀才や不良少年の一面だけを描かれると、子ども たちがそのメッセージを強く受け取ってしまいます」
頭の良いまじめな子は嫉妬の対象になりやすいということがありますね。
幼少期に苦労した覚えがあります(笑)
和田さんは、こうした議論に対し、次のように説明している。
「子どもたちの間で、不良少年がもてはやされているとは存じあげていませんし、そこまでなっていないと思います。ですが、私が問題にしているのは、学力 低下がみられる時代で、勉強できない子が『人間性がしっかりしていればいい』と勉強しないことを正当化してしまうことです。20~30年前なら社会的に意 味のある番組だったかもしれませんが、時代によってテレビのあり方が変わらなければいけないということです。また、優等生に悪いやつがいるというのは、確 率論の問題です。悪いやつもいればいいやつもいる。しかし、子どもに勉強させた方が、犯罪者の比率が低い、確率が高いですよ、ということです」
勉強ができない子に何を望むのですかね?そうであれば、”せめて”人間性がしっかりしておれば、
と願うのは無謀ではないと思います。勉強できない子が勉強しないことを正当化?
ちょっとおかしいですよね?勉強しなくてできない子は勉強が好きになるように、
家庭の事情でそうなっている子にはそれを乗り越えることができるような支援を
といったことが必要なので、それはむしろ提案になるし、、、、。犯罪者と勉強の相関を考えて
娯楽番組に文句を言うことが考えられません。
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