日 本文化では、子育てに対しては、西洋に比較するとものすごく甘いようである。何しろ『童神』の概念を有し、したがって子供は七歳までは『神』なのだから、 かなりの程度のやんちゃまでが許容される傾向にある。昨今の児童虐待に関する悲報が多い中では問題ではあるが・・・。そして長じるにつけて、色々と社会的 ルールなどを教えていくという方法が一般的であるようだ。これに対して西洋では、子供の頃に厳しくし、長じるにつけてゆるくしていくのが一般的であるよう だ。この違いは何なのだろうか。『健康』の視点からすれば、どちらが良いのだろうか。この手の問題は、意識(生霊)と無意識(死霊)を考えてみると解りそ うである。
日本文化では、一人の人間が持つ生霊(意識)と死霊(無意識)の相対的大きさには言及していないようだ。そのような民間伝承には今まで触れたことがない。 心理学では、以下のような相対的な大きさというものは解っているようであるが、面白いのは、心理学的結果から言えることが、まさに民間伝承と一致すること である。
意識と無意識の相対的大きさについては、京都大学医学部助教授(当時)の品川嘉也氏(生理学)が、昭和45年頃だったか、京都大学工学部電気工学懇話会に おいて話されていることがある。結果だけを言えば、意識の大きさを『1』とすれば、無意識の大きさはその『100,000』倍ほどもあるということだ。
ところで、自分の『無意識』は意識することができないから無意識というのであり、したがって自分の無意識は自分では認知できない。しかし、他人の無意識は 彼/彼女らの行動・言動を通して認知できるものだ。他人の無意識(癖)の行動・言動は、ある時点時点でひとつづつ認知することができることは経験的に分か るだろう。ごく大雑把に言えば、これは、無意識はおよそ10万個の種々様々な癖の集合体であると考えられる。これだけではどうってことはないし、品川氏も 述べてはいないが、心理学的に重要なのは、たとえば悪い癖がひとつあるときだ。別にたくさんあってよいが、考えるのが面倒なのでひとつだけとしておく (笑)。
たとえば子供に望ましくない癖があるとき、あるいは夫や妻にあるとき、多くの場合は、悪い癖が現れたときには『注意』を与えて自覚を促し、悪い癖が発現し ないように自制を求めていく、というのが躾や教育であると考えられているのではないだろうか。これは、例え話をすれば、一人の警察官(意識)が10万人ほ どの市民の中から一人の犯罪人を逮捕して処罰することに等しいものである。
一日に一人を調べるとする。すると、最悪の場合には、対処して処罰するまでに10万日を要することとなる。これは約274年である。一日に二人だと、その 半分、137年である。同様に、三人だと約91年・・・。注意した癖は直ちに、あるいは2~3日後には治って欲しいとするのが人情であろうが、これは一日 に5万人ないし34万人を調べねばならないわけだから、土台無理な話である。ということは、癖になっているものは、注意するだけでは治らないということで ある。
実際、ギャンブル癖や飲酒癖、DV(家庭内暴力)・・・、相手の種々の悪癖に悩む人が注意を与えても一向に治らないというのは日常茶飯事に経験されることである。いや、治らないどころか、注意を与えれば与えるほど、ますます酷くなっていくことが多いようだ。
日本文化では、以上のような悪癖は、『先祖の祟り』として発生していると考える。そして対処法を提供しているのである。
PR