今年一九九九年はノストラダムスが「人類の滅亡」を予言した年といわれている。若者の約七十パーセントがこの予言を信じているともいわれているように、 終末論的予言や超能力、心霊現象といったものに心を奪われる若者は後を絶たない。こうしたなかで超常現象とされる現象も科学をもって解明できるものである とし、超常現象を神秘主義的に解釈する論者と長年激しい論争をくりひろげてきたのが本学の大槻義彦教授(理工学部)だ。最近、文学部の石井康智教授をはじ めとしたグループが学内でオカルト講演会などを開催し活発に活動している。昨今のオカルトブームと学内におけるオカルト研究の活性化について大槻教授にイ ンタビューした。
大槻教授のいわゆる超常現象を科学的に解明しようという姿勢は評価するけれども、
神秘的に解釈しても、それはその人の好みだから良いではないかと思う。
結果が間違いであれば困るのだが(^^; オカルトな部分も、これは社会現象なのであり、
いろんな学問の研究対象になりうるわけだから、それを排除する必要は無いだろうと思う。
記者 昨年十一月に本学の井深大記念ホールで「意識・新医療・新エネルギー国際シンポジウム」と題するいわゆるオカルト研究のイベントが開かれ、奥島総長も出席し挨拶を行ないました。こうした大学当局のオカルト研究に対する対応についてどうお考えですか。
大槻教授 今回の奥島総長の「挨拶」は挨拶の域を超えていると思います。というのも総長は「このようなことは今後ますます研究される必要が ある」などとこの集会に集まった人たちの行なっているオカルト研究を積極的に評価する発言を行なったからです。これは単なるウエルカムではなくプロモート としか言えません。わたしはオカルト研究は「学問の自由」の範疇を超えていると思うのです。ここ数年、文学部の石井教授が中心になって気の研究や生命エネ ルギーのシンポジウムが早大でしばしば行なわれるようになりました。今回のオカルト集会にきたジョセフソン氏にしても東大では講演会の開催を断られている ような人物であるにもかかわらず。
記者 「学問の府」として大学はいかに対応するべきなのでしょう
大槻教授 大学がミスをおかすこともあるのです。ただ、ミスをおかしたら即刻認めて再出発しないといけない。しかし早大は何も反省しない。 オウム事件の直後だったら大問題だったと思いますよ。あの時大学を辞めざるをえないような人が大勢いたはずなのです。孔子は教育者たる者「怪・力・乱・神 を語らず」といっていますが、これが教育者の最低限のモラルでしょう。しかし、わが早稲田では怪・力・乱・神を売り物にしていかがわしい研究をしている。 そしてみて見ぬふり。早稲田には相互批判の風潮が無いと思います。オカルト研究に大学として関与するのは学生に悪影響を及ぼすだけでなく社会に対しても悪 影響を及ぼします。にもかかわらず教授会は今のところ人科でも理工でも文学部でもみな見て見ぬふりを決め込んでいるのです。
研究の手法が問題なのである。当初はいぶかしく思えても、発展の可能性を
限定するのは利巧とはいえない。
わたしは今の早大の現状はよくないと考え、四月十四日に私の法学部での講義の時間に石井教授との公開討論を呼びかけています。
記者 早大に入学する新入生も含めて若者の間では根強くオカルトを信じる傾向があるのですが、こうした傾向についてどのようにお考えですか。
大槻教授 これまで受けてきた教育が真の意味で若者の世界観なり宇宙観・自然観とかの形成に寄与していないということだと思います。もし正 しい教育が為されてきたならばこうした非合理的で反科学的な風潮にだまされるはずがない。つまり、その人の受けてきた教育と、その人の世界観の形成が分離 していることを示しています。日本の教育の失敗の典型的な例といえるでしょう。
わたしがオカルトを批判するのオカルトが蔓延する社会はファシズムへの道を突き進んでしまう危険性があると思うからです。ファシズムがどのような 過程で人々をだまし社会を混乱させてきたかを見れば、それは一目瞭然です。非合理・非科学・非論理的なものが現代文明の敵なのです。社会の発展という観点 からも敵なのです。そのことを一番示したのがオウム真理教といえるでしょう。
にもかかわらず、早大ではオカルト集会の開催を許可し、かつ総長として推進するような挨拶をした。こうした行為は「学問の府」として最低限の守るべき筋すらも踏み外しています。
オカルトと言われたり、霊感商法を行っている団体などがあるが、
そういうことには目をつぶるのだろうか?
記者 早稲田大学に新たに入学してくる学生にメッセージをいただけますか。
大槻教授 早大に入って何かを学ぼうという学生諸君、オカルトに惹きつけられる学生諸君はとりわけ、自分の哲学をしっかりと確立することが 大切なのです。よい本はたくさんありますが、たとえば孔子の諸著作やルクレーティウスの『物の本質について』(岩波文庫)、エンゲルスの初期の諸著作(岩 波文庫・国民文庫)を読むとよいでしょう。ただ、それらの本が難しいというのであれば『ソフィーの世界』(NHK出版)がよい。『ソフィーの世界』では しっかりとした社会観・自然観の大切さやオカルトのバカバカしさがいわれています。そうした諸文献などにあたりながら「自分がどう生きるべきなのか」を しっかりと考えてもらいたいですね。
そういうことで人間の諸事はわからんだろう。
なんかひどいなあ。
記者 どうもありがとうごさいました。
大槻教授はインタビューのあと、石井教授が十一月のオカルト集会について「自分はノーコメントでもない、ノータッチだ」と本会記者の取材に対して こたえたことについて「それこそオカルトだ」とコメントした。そして「もし自信をもって自分がオカルトを研究し教育しているというのであれば正々堂々と 『自分は開催にかかわった』というべきだ」として、石井教授との公開討論会に意欲を示した。
火の玉がプラズマであることを突き止めたと言うことで、大変に尊敬申し上げていたのだが、
なんだか、それががたがたと崩れていってしまった。