『霊』について、ある程度妥当性の理解ができると、その延長として『神』も定義可能である。霊が持つ影響力が極めて大きくなると、人間の存続そのものにもかかわるようになる。このとき、
神=その存在なしには、人類が存在し得ないほどに絶大な影響力を有する生物もしくは非生物(天地万物)
例としては、『水』や『大地』や『天』(太陽などを含む)がそうであろう。これらの存在なしには、明らかに人類は存続し得ない。また赤子にとっての『母』 も『神』と考えてよいであろう。そして人間の食料となる生物なども『神』として考えてよいであろう。これらは、祖先崇拝を基本とする古代大和文化(現代沖 縄文化)では、大自然の象徴としての天・地・海の三つを『御三物』と称し(ウミチムンと読む)、究極の祖先の象徴としている。赤子にとっての母が神である 例は、聖母マリアなどがであろう。また、食料が神となる例は、インドにおける『牛』といったことや、古事記における『桃』といったことであろう。
上述の神に定義において、その条件を少し緩めて考えることもできる。存在し得ないほどの絶大な影響力ではなく、存在はし得るものの、平穏な心を維持することができないほどに強大な影響力を考えてみよう。すなわち、
神=人類が平穏な心を維持することができないほどに強大な影響力を有する生物もしくは非生物(天地万物)
とするのである。これらの例としては、親にとっての子供(童神)、商人にとっての顧客(お客様は神様です)、生計を立てるための仕事、お金、…、その他諸 々のことが該当する。このように、天地万物が神と考えて良いような状態は、日本文化に言う『八百万の神々』という言葉によって表されていると言えよう。
PR