さて、
72において述べたことのうち(1)や(4)は、霊とは心の本体をも示すものであった。人の心もまた心に影響を与える存在であるから、これはまさにその通りであると言えよう。ここでは、心=霊、なるものについて考えてみよう。
心には、大別して、二種類あるといえる。それは『意識』と呼ばれる心と、『無意識』と呼ばれる心である。
日本文化(沖縄文化)的には、『意識』はイチマブイと呼ばれ、漢字をあてるなら『生霊』である。普通『生霊』は(大辞泉、Yahoo辞書)、
いき‐りょう〔‐リヤウ〕【生き霊】
生きている人の怨霊(おんりよう)で、恨みのある他人にとりついてたたりをするといわれるもの。いきすだま。←→死霊(しりよう)。
と解されるが、古代大和文化(現代沖縄文化)的には誤りである。上記のような意味では『生邪魔』と呼ばれているのであり(イチジャマと読む)、『生霊』は イチマブイと呼ばれ、単純に語句通りの『生きている人の霊(=心)』とされている。心理学的には『意識』と対応付けられるものである。すなわち、生霊=意 識 なのであって、自分が何をしているのかということを認知する能力のことである。
同様に、『無意識』は、シニマブイと呼ばれ、漢字をあてるなら『死霊』である。死霊は(大辞泉、Yahoo辞書)、
し‐りょう〔‐リヤウ〕【死霊】
死者の霊魂。また、死者の怨霊(おんりよう)。しれい。生き霊(りよう)。
であるが、生霊の場合とは異なり、単純かつ字句通りに『死者の霊魂』という意味があるところが面白い。
以上のことからすると、日本文化的には、人間というものは生霊と死霊の二つからなる霊(心)を持つ存在であるということになる。これは、心理学で言うところの、人間の心は意識と無意識からなる、ということとまったくおなじである。
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