まぶい分析学(日本文化の心理学と家族療法)では、「甘え」は、アメリカの心理学者アブラハム・マ ズローが提唱した「基本的欲求」に基づいて表出する衝動であるとする。基本的欲求を他者(例えば「母」)に充足してもらうときに、そこに「甘え」の感情が 常に伴う場合、その行為を行うときには甘えの感情も伴い、甘えの感情を表出するときにはその行為が伴ったりするが、これを、「行為への「甘え」の「付着」 とまぶい分析学では呼ぶ。
例えば、幼児が「母」にオムツやパンツを取り替えてもらう、ということを繰り返していることを考える。自分できちんとできるような時期になるまでは、子供は、「恥ずかしさ」をほとんど覚えずに、自分の下半身を「母」や他の者にさらすことができるようだ。
しかし「甘える」=「自分でできるのに(あえて)他者にしてもらう」という心意が発生する頃には、すなわち、行為に「甘え」が付着する頃には、「恥ずかしさ」を覚えてしまい、できなくなるようである。ここには「段階」も観察されたりする。
初めは誰がいようとは恥ずかしさは覚えないようであるが、次第に、「母」以外の他者がいると恥ずかしがるようになり、やがては「母」に対しても恥ずかしが るようになったりする。これからすると、下半身を他者に見せる行為に恥ずかしさを伴わない場合について、考えることができるようになる。
いわゆる「変態」として知られる「見せ見せ小父さん」の行為である。仲間内に「おい、おまえできるか?」と聞いてみると、「そんなこと恥ずかしいよ!」ということで衆目の一致を見てしまう。
フランス思想界に多大な影響を与え、エミールなど多数の著書を持つジャン・ジャック・ルソーも、かっては、このような小父さんだったという。ルソーの生い立ちは著書「告白」に詳しいが、彼は早くに親を失い、「甘える」という感情が付着しにくい環境にあったことが分かる。
時々われわれの周りにも見せ見せおじさんは出没する。四半世紀の間に数人だけは、幸運なことに、本人や関係者から話を聞くことができた。そのおじさんたちは、どうやら「甘える」という感情が付着しない環境下で育ったことが共通に見られたのである。
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