あちこちで、トートーメー問題について、間違った考え方がそのまま広められている。これは大変に厄介なことだ。ここで示す例は、
山内税理士事務所のホームページである。以下に、
同ホームページの該当部分を引用し、間違いを指摘しておこう。赤字が間違った部分、それに対する僕のコメントが緑字である。
(引用ここから)
「トートーメー」とは、
沖縄で「位牌」を表す方言である。そしてその「トートーメー」には、基本的には、その家の全財産がついてくるということで問題を深刻にしている。祭祀財産(トートーメー等)と相続財産の分をはかった現行民法は、沖縄の慣習の前では、しばしば無力となっている。
まず、トートーメーとは位牌を表す方言というのが間違いだ。位牌は方言ではイーヘー、仏壇はブチダンというが、トートーメーに対応する日本語がないのだ。参照。
女性は「トートーメー」を継承できないというタブーがあり、男子がいないということで、父親の血筋をたどり、会ったこともない承継者が現れ、トートーメーを承継し、かつ相続人でない者が、全財産を相続するようなことが起きている。
赤字部分は間違いである。そんなことは言われていない。ここで言われていることは、財産を欲しい人の言い分を述べているだけであり、トートーメー問題の本質を見誤っている。女性はトートーメーを継げないのではない。継ぎ方には、サジカイ(授かり)とアジカイ(授かり)のに方法があり、女性はアジカイとして継承することが出来るのだ。
このタブーに反して、トートーメーが承継されると、祖先の「タタリ」があり、子孫に、災害や病気とか死等の不幸が起きると警告される。
その警告を発する者が「ユタ(土着のシャーマン)」である。
警告を発するのはユタだけではなく、この問題を知っている人はみんな言う常識である。問題の根源がユタにあるような物言いはいただけない。先祖のたたりは「祖先からの知らせ」とも言う(この方が本質なのであるが)が、知らせが来るというのは、転ばぬ先の杖としての性格を持っているもので、ユタが独占的に言うことではない。
沖縄本島では近世以前(16世紀)から、「ノロ」と呼ばれる神女がおり、ノロは琉球王府公認の祭祀の主催者であった。ユタは、ノロと異なった地域、おそらく私的な家レベル・個人レベルで人々に関わっていたものと考えられている。
これまで、何度か「ユタは人心惑わすものとして」ユタの排除が行われた。しかし、その
必要悪を認めるとともに、多くの人々の中にその必要性が存在している。
”必要悪を認める”という言い方は、この問題に対して無知であることを示している。
沖縄の地域社会には、数千人のユタが根強く活躍しているといわれている。祖先の「タタリ」という目にみえないものとのかかわりあいのため、人々に対する精神的な苦痛は計り知れないものがある。4大タブーに対するユタの「筋を正す」という慣習が、トートーメー承継に関して大きな影響を有し、相続財産の承継とあいまって深刻な社会問題となっている。その争いは、トートーメーと相続財産が一体化していることに起因している。
この「トートーメーの
相続のルール」というものは、娘しかいないときに、娘に「婿」を取らないということである。
↑こんなルールは少なくとも僕の研究結果からは存在しない。むちゃくちゃだ(笑)
娘は他家に嫁にやって、そして男の血筋をたどってもっと近い人から、そのトートーメーを継いでもらうという考えに立っている。しかし、このルールは、宮古や八重山にはなく、この地方では「婿」をとってトートーメーを承継している。沖縄における最近の某新聞社の県民意識調査によると、
トートーメー(位牌)を「男女どちらが継いでもいい」とする女性トートーメー承継容認派が61%に達したと報じている。
この辺は皇位継承問題とそっくりであろう。
(引用ここまで)
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