2004年8月12日:初出し
2008年(平成20年)4月11日(金):旧ブログより移動・加筆(
このとき、『育児 押し付け』でググってみると、ぶはは(^^; 45万件も出てきた(笑)。共通していることは、夫が仕事に専念し、家庭を振り返らないと言うことに『押し付けられた』と感じる人が多いようだ(笑)。この場合、男は、子供がいるから余計に仕事に打ち込む、といったことも多いのだが・・・いずれにせよ、夫婦間の感覚がずれていることが問題だ(笑)。
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五月一日本紙論壇に東京都立大大学院生の堂○氏による標題のようなご意見があった。恐らく氏の博士論文内容の趣旨かとも考えられるが、学者(の卵)としてのご意見としては問題が多いので指摘しておきたい。
一般に「押し付ける」という言葉をフェミニズム・ジェンダーフリー論者は多用するが、これに惑わされてはいけない。本当に、育児は女性に押し付けられていると言えるのか?
似たような問題であるが、教育とは規範などの「押し付け」である、という人も多い。分かりやすくするために、このこととの比較で考えてみよう。
ある種の規範などを子供に修得・習得してもらうとき、それを「押し付け」と考えるようでは教育者失格と言えるだろう。なぜか?生徒と教師の間に信頼関係が成立しておれ ば、「こうしましょう」と教師が言えば、生徒は素直に「はい!」と答えるであろう。また、例が適切かどうかはべつとしても、信頼関係が異常に深ければ、例えばオウム真理教のように、信徒を殺人に まで持ち込むことができるであろう。このような場合「押し付け」とは言わない。信頼・尊敬する人のいうことは、人は聞き耳を立てるものだし、言い付けを守 ることにより、その人からの信頼を得るように行動するものだ。「押し付け」とは、本人の意思に反して、無理強いするようなことをいう。
さて、世の母である女性は育児を「押し付け」られているのであろうか?育児したくないのに無理強いされているという状態が一般的であるなら、もうこの世は 闇である。そんな気持ちで子育てができるわけは無い。家族療法の臨床を通して長年にわたって母子関係を見てきたが、「押し付けられている」という感覚の女 性には会ったことが無い。僕が見た殆どの女性は、困難な中でも子供をどうして育てれば善いのか?献身的な人達だった。
現在の男女共同参画を考える人達の最大の欠点は、子供の側の立場・心理を無視することだ。堂○氏も例外でないようだ。子の養育は、乳児の間は、第三者に依 頼するとしても、同じ人にすることが良いと言える。したがって、例えば、在日駐留米軍基地内においても、若い兵士のカップルは共働きが多く、保育所が必須なのだが、そこでは、可能な限り、乳幼児は一人の固定された保育士が担当するようになっている。対人関係における基本的信頼を子に育てるためだ。したがって、普通は、子を産んだ母親が子を担当して当たり前だ し自然なのだ。そうでなければ、母親も乳が張って困ってしまう。「押し付け」なんていう感覚で授乳をしている母親はいないだろう。いるとすれば、女である 自分を自己受容できない人だろう。これは少数派である。経験的に知れる限り、育児を押し付けられているという感覚の母親は見たことが無い。
好意的に解釈して堂○氏の考えが正しいとすると、それは少数派のものだろう。少数派の論理を多数派にじかに適用してはならない。論文捏造や盗作をする大学を抱 えている本県だから言い難いけれども(笑)、そんな考えを基本として論を展開しても、どこかおかしい。東京の大学もレベルが下がったなと感じる。
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