「突然残忍に変わる性向が日本人には強い」
こういう見出しがあると、『え?』という
思いが出てくる。もし、村上氏がその
ように言うのなら、文学としての一種の
創作の範囲で言うべきことではないだ
ろう。その辺の常識はあるのではないだ
ろうか?ないならば、
あまりにも・・・(笑) 。
そのようなデータがあるのならば、
日本人の心理を研究している僕は,
のどから手が出るほどに欲しい。
30年以上、話題作を出し、韓国でも人気を集めている日本の小説家、村上春樹氏(59、写真)が「日本人には、まだ戦争で犯したことに対して本当に反省する気持ちがない」と述べた。作品執筆のための取材活動をする過程で第2次世界大戦に対して深く察しながらそう考えるようになったという。
彼は8日、共同通信とのインタビューで1995年の東京の地下鉄サリン事件を素材にしたノンフィクション『アンダーグラウンド』の執筆のために容疑者たちに対する裁判をしばしば傍聴した。ここで彼は戦争の捕虜たちを殺害しろという(非人道的な)命令を拒否することができなかった日本人の特性と結びつけ、こう考えてみるきっかけになったと明らかにした。村上氏は「シンガポールを占領した日本軍人たちが残忍な行動をとったが、戦争が終わって捕虜になった後には、シンガポールの町を熱心に掃除してまわった」と回想したリー・クアンユー(李光耀)初代シンガポール首相のコラムの内容を取り上げた。堅実な人が一瞬、残忍に突然変わる現象は、どこでもあり得るが日本人には特に強いというのだ。
仮にシンガポールでの残忍な行為とその後の町の清掃行為があったとして、
これは『日本人』の表題のような特性を云々することの根拠にはなるはずも無い。
戦争時には軍命遂行が当たり前だし、そんなことをした後の良心の呵責で
そのような行為があっても、ごく当たり前のことというか、いや、そういう行為が
表れるような心を持っていることに誇りを感じても良いのではないだろうか?
心理学的な見地からは、「堅実な人が一瞬、残忍に突然変わる現象は、
どこでもあり得るが日本人には特に強い」ということをいうには、脳内創作で
言うことは良くないから、何かの実証を伴うべきだと思うが、そんなことは可能なのか?
もし可能でない、あるいは実証がないのなら、脳内創作であれば、その人個人(村上氏)
の特性ということになってしまうのが常識だろう。人間の二面性は当たり前のことであり
とやかく言うことではないのだ。
彼は自分の新しい小説が「明日どんなことが起こるか誰も分からない事情」に対するものだとし、自分の小説が世界的に読まれるのは、実際に世の中が自分の話どおりなっているからだと診断した。
これは本当なのか?彼自身がそう断言しているのか?
何がしかの共感を呼んでいることは間違いないとして、それが『世の中が自分の話どおり
担っているから』というのなら、これは間違いだ。共感を呼ぶのであれば、大方の場合は、
そういう心理は潜んでいるけれども、実際には出来ないとき、つまり抑圧されていると
きの話である。新聞記者がそう解釈したのなら、その記者はバカと言われても仕方ないし、
村上氏本人がそう断言したのならば、これはもう・・・彼はおしまいだろう。
結局、自分の文は現実に基づいているから読者が親密に受け入れると強調した村上氏は「世の中の話を素材として文を書くことこそ、混乱する現代人を救済する力を持っている」と強調した。このような点で世を生きぬく話は、結局“万国共通語”の役をすると彼は見ている。人々の言語や環境、哲学は多様だが、人々が自分の魂の中に沈めば、結局は同じ世の中になるからだというのだ。
抑圧されていると言うことと、現実の世界がそうだということの区別がつかないのだろうか?
村上氏は「話の内容が明るくないとしても、人々は闇の中から出てくる何かを見つけることで闇の中から救われることができる」とし「世の中の混沌を飲み込んでしまって方向を提示する、そんな巨大な小説を書いて行くつもりだ」と話した。
これがもし本当ならば、僕は彼の小説などは、読む価値を感じない。
彼はこの“巨大な小説”が“多様な人々の多様な話を取り上げるだけに(創始期の1人称の視点ではない)3人称の視点が適当だと考えられる」と述べた。
彼は現在、早く寝て午前2時ごろ起きた後、5~6時間の間で長編小説を執筆中だと明らかにした。それとともにロシアの大文豪ドストエフスキーのように、年を取った後、もっと旺盛な活動をする作家になりたいとも語った。