ここ2~3日、早稲田大学理工学部名誉教授・大槻義彦博士(物理学)のサイトを見る機会が多かった。これは、今月8日から、ZAKZAKの記事を見てから始まったことだった。それで、大槻義彦VS江原啓之というエッセイを行くか掲載し、大槻教授のブログ記事へトラックバックをつけた。さすがに、多くの人のアクセスがあるようで、そこから経由して当ブログへの来訪者が、300余件、翌日には600余件となるほどだった。残念ながら、来訪者は多くとも、足跡を残していただけてないので、当ブログの内容にどう思われるのかが全く分らないところがイタイ。大槻教授は、オカルトとスピリチュアルを同じにみなしておられるような気がするが、それは違うのではないだろうか?
辞書を見てみよう(Yahoo辞書)。
オカルト:神秘的なこと、超自然的なこと
スピリチュアル:精神的な、霊的な
という意味だ。すると、オカルト=スピリチュアル となるのは、それらが名詞形なのか形容動詞形なのかといったことは無視して(笑)、霊的=超自然的 となるということなのだろう。しかし、これだからといって、オカルト嫌い・・・科学主義・・・となるのは、どうなんだろう?オカルトだって、人間が関与し、しかもオカルティックなものに多くの人が寄り付き騒ぐという現象があり、かつ、根拠レスな霊感商法など、いわゆる騙される人が出てくる、というところが正義感の強い人を刺激するのだと思う。
しかし、オカルトに群がる人は、皆が皆、悪質なものに騙されながらもついていっているというようなものではないだろう。そこまで人間はバカではなかろうと思うのだが・・・。しかし、妖しい宗教団体となると、興味半分で入会しても、脱会しようとすると自由意志に基づくことが出来ず、強迫されたり、精神的に疲労困憊するほどにオルグをを受けたりと、法外な寄付を要求されたりと、・・・、色々とあるわけだ。
例えば、科学・技術の世界でも、車社会になれば、便利にもなるけれども事故により使者が出たりして、負の側面は現れるものだ。これはなんにしたってそうだろう。このように考えると、いったい、何人の人があるオカルトに参加・関与し、いったい、そのうちのどのくらいの割合の人が被害を受けるという形になるのだろうか。
また、そういう被害者が出ながらも、それが続いていくということは、信奉者も出るからであるが、それは、何かに困った人が助けられるということを経験したか何かで、信頼関係で結ばれているからではなかろうか。これは、祖先祭祀システム、祖先崇拝、アニミズム、シャマニズムを研究する中で、必然的にユタと呼ばれる霊能者とのかかわりもまた大きかった経験からすると、まさにそのようなものであった。
したがって、もう四半世紀以上も前のことになるが、ユタをなぜ信じるか?とかいったことが、沖縄県内では、沖縄社会学会でのシンポジウム、長期にわたる新聞紙上での論争などが行われたが、大槻義彦名誉教授VS江原啓之スピリチュアルカウンセラーとの関係も、まさに昔の沖縄の状況を髣髴させるものである。そんなこともあり、多少の興味を引かれるのである。既に経験済みのことでもあるので、ネットで知れる限りの情報に対して、色々とコメントをして行きたいと考えている。(遊び半分でもあるが(笑) お叱りを受けないことを(^^;)。
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