2008年(平成20年)1月17日(木):初出し
2008年(平成20年)3月24日(月):旧ブログより加筆・訂正・転載
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父 性と母性については、日本文化的な視点からすれば、大雑把に言えば、ロゴスとエロスにあると考えられるが、この点を他者が論じていることと比較検討、もし くは他者の論を学術的に検討してみたい。以下は、精神科医・佐々木正美氏の論である。以下、佐々木氏の文は通常の左揃えの文章で、僕の文は中央揃えの赤茶色文字にして区別している。
http://mindsun.net/kyokai/sasaki/maternity.htm
母性と父性について考える 佐々木正美
(引用ここから)
子どもを育てていくうえで、母性と父性という機能はとても大切なものです。 親が子どもを育てることを幸せに感じ、子どもも「お父さんお母さんの子でよかった」と思えるような、親子の絆をつくるために、母性と父性、あるいは母性的 なものと父性的なものについて、ここであらためて考えてみましょう。
そもそも母性とはなんでしょうか。父性とはなんでしょうか。
さまざまな定義がありますが、私はこのように考えています。
・母性とは「無条件の保護」=やさしさ
・父性とは「条件つきの愛情」=厳しさ
子どもにとっては、ありのままのその子を受け入れ、認め、そして絶対的なやすらぎを与える力が母性です。保護してくれる存在ですね。これに対して、父性と は、これはしてはいけない、こうしなければならないというルールやマナーを教える力です。 つまり、しつけというのは父性の部分でしているものなのです。
その母性の機能を実行できる母親は少ない。実際には、受容不可能な状態
がすぐ発生する。例えば、授乳中に乳首を赤子が噛めばどうか。噛まれれば
授乳を中断するなりして、それはいけないよ!というメッセージを発するだろ
う。このようなことを「父性」というのならともかく、普通には受容限界があるので、
それを超えるとだめだということを教える、というか躾けているのは、父性ではな
くむしろ母性ではないだろうか。
母性はなんでも許してしまいますが、父性は許されないことを示し、制限する。いずれにしても、両方をバランスよく受け取りながら、人は成長し、人格を形成していくのです。
母性は何でも許すというとき、乳首を噛むことまでは許さないはずだ。
母性も受容限界がある。これが父性であるのならともかく、躾けは、基本的には
母性の受容限界でもって行われる、というところではないだろうか。
ここで注意していただきたいのは、母性的なものと父性的なものというのは、男性女性に関係なく、だれもがもっているものだということです。女性のなかに父性はありますし、男性のなかにも母性はあります。
ここは同意である。問題は、それが何か?という点である。
それはつまり、たとえ母子家庭、父子家庭であっても、子どもに母性と父性の両方をバランスよく与えることは不可能ではないということです。片親で子どもを 育てる不安を抱えている方もいらっしゃると思いますが、一人で父性的な役割と母性的な役割を担うことはできます。安心してください。片親で立派に子どもを 育てている親がいる一方で、両親がそろっているのに母性的なものも父性的なものも不十分な家庭はたくさんあります。むしろ、そういう家庭が年々増えている ように感じます。
母性と父性はバランスが大切だといいましたが、どちらか一方が強すぎたり、足りなかったりすると、子どもによくない影響が出ます。
母性が強すぎると、甘えん坊で自立できない人間が育つ。
父性が強すぎると、幼児性と攻撃性が出てくる。
ここに大きな間違いがある。甘えん坊であることは、甘えたいのに甘えさせてもらって
ないためである。言うなれば母性が機能しなかったためである。子が母性を
受けることが出来なかったためだ。母性が強すぎるということは間違いだ。
また、幼児性と攻撃性は、父性が強すぎるためではなく、母性が与えられて
いないため、心の成長が伴わず、心の成長を伴う母性を要求するための攻撃性である。
最近の傾向として、「そんなことしちゃいけません」「お母さんのいうとおりにしなさい」と厳しく制限する、父性の強い家庭が目立ちます。思春期になって大 人のいうことをきかずに暴力的になる子や、手のつけられないわがままな子は、非常に厳格な家庭で育てられた子が多いですね。お母さんにはもっと母性を発揮 してほしいと思います。子どもにとっていちばん大切なのは、「どんなことがあっても、親は自分のことを愛してくれる、守ってくれる」という絶対的な信頼感 と安心感なのです。
こう言われると、まず普通の母親は困惑するだろう。厳しく制限したい心情に駆られているから
つまり受容限界にあるからそうするわけだが、母性を与えろということは、それを制限せずにさせろ、
ということだろうか?受容限界を超えているのをどのように許すのか? それこそ『甘やかし』となって
しまう可能性が高いと言える。子供の異常行動(母親から見た)に適切な対処の指針が無ければ、
母性を発揮するにも、効果的には出来ないことが多いだろう。
この無償の愛を与えられるのは、母性でなければできません。
母性が無償の愛を与える”のではなく、無償の愛を与えることを母性という”のが
正しいのではないだろうか?しかし、こういわれると、母親達は困ってしまうだろう。
【中略】
こういう例で説明するとわかりやすいでしょうか。社会には、ルールやマナーを守れない若者がいます。犯罪はその最たるものですが、もっと日常的なことでい えば、道端にゴミを捨てたり、電車のなかで携帯電話を使って話をしたり、深夜に爆音を響かせながらバイクを走らせたり……。大人のなかにもこうしたルール 違反をする人はいますが、彼らに「やめなさい」といったところで、伝わりません。注意して「わかりました。もうやめます」と思えるのなら、だれでも注意す るでしょう。でも、多くの場合、ルール違反を指摘しても事態はよくならないことを知っている。だから、街でルールやマナーを守れない若者がいても、見逃す のです。あるいは、注意をされたことで彼らが気分を害し、注意した相手を傷つけてしまうかもしれません。だから注意をしないということもあるでしょう。
社会のルールを守れない若者を見ると、人は「親が厳しくしつけないからだ」といいますが、私はそうではないと思っています。彼らが社会から逸脱するような 行為をして、注意を受けてもやめないのは、小さいときに母性的なものを十分に与えてもらえなかった結果だと見ているのです。
子どもが社会に適応していくには、まず母性的なものからスタートさせることが大切です。本当は、小さなときからそれができていればよいのですが、いくつからでもかまいません。
「わが家には母性的なものが不足していた」「小さいときから厳しくしつけてきた」と思われるならば、どうぞ今日から母性性をたっぷりと与えてあげてくださ い。あるいは、「うちの子はルールやマナーを守れないことが多い」という方も同じです。父性的なもので厳しく叱るのではなく、受容する母性性を大切にして いただきたいと思います。
ここは同意である。父性、母性に対する考え方が違うのに、実践面で
同じであることが面白い。
まず、子どもを無条件に受け入れ希望を満たしてあげる。
厳しさやルールを教えるのは、そのあとです。
言いたいことは分る(つもり)であるが、どのようにして、受け入れるのか、
その辺が難しいだろうと思う。母性の受容限界が躾けにかかわるとすれば、
親も出来ることしかできないだろうと言うのが率直な思いだ。
「佐々木正美著『抱きしめよう、わが子のぜんぶ―思春期に向けて、いちばん大切なこと』:大和出版」より©Masami Sasaki 2006
著作権は佐々木正美先生が保持しています。本稿の記事の無断複製・転載・引用・再利用を禁じます。
この程度のことはいいのではないかと思われる。もし問題があるなら、問題点と共に、
そのことを指摘していただければと思う。対処は速やかに行います。コメント欄
からどうぞ。
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