2005年1月8日:初出し
2008年(平成20年)5月15日(木):旧ブログより移動
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アルコール依存症(以後、アル中と略記する)は、
霊的な病気・・・定義で も述べましたように、AA(Alcoholics Anonymous)という米国の自助グループが早くから「霊的な病気」として位置づけたようです。これは、まぶい分析学での定義に従えば、飲みたくない のに飲んでしまわざるを得ないという病気です。つまり、意思と反対の行動が繰り返し現れる・・・ということなんですね。
アル中の人たちの気持ちを聞いてみますと、僕が経験した範囲では、一様に、飲みたくはないのに飲まないと居ても立ってもおれず、まるで飲まされているよう な気分だ…ということで共通したものがあります。このような心理状態を良く表現したものとしては、古代大和文化(現代沖縄文化)としての祖先祭祀システ ム、祖先崇拝におけるアル中の捉え方があります。
祖先崇拝では、祖先に酒を十分に気持ちよく飲みたかったのだけれども、それが叶わずに他界せざるを得ない状況となってしまい、現在でもその気持ちは霊とし て存在していると考えます。あの世には酒も無く、またそれを飲む自分の肉体も無い(本当に沿うかは確認していません(笑)。しかし、死後の世界とか色々な ファンタジックなことを考えるのもいいですが、『無』ということを考えるのは『科学的態度』としては、今のところ一番ではないでしょうか)。そこで、その 「霊」が現世の子孫の体を借りて飲んでいるのであるとするのです。
この考え方が正しいのであるのならば、それは、世代から世代へと繰り返して発生する現象であるです。そこで、家系を調べてみますと、実際、アル中が先祖代 々から続いていることがわかる場合が多いのです。これはボーエン流家族療法では多世代伝承、ソンディ流衝動病理学では遺伝趨勢と呼ばれるものです。同様に 日本文化に基づくまぶい分析学ではチヂウリ(継降)と呼んでいるものです。
アル中の人の心理としては、矛盾してはいるのですが、酒は嫌い、ということがあります。嫌いだけど飲まずにはおれないのです。しかし、飲んでいるときは 「酒は友」とも感じるようです。酒を飲まない自分は実感としては分りません。このような状態は、いったい、どうすればよいのでしょう?
「霊的な病気」であるのなら、その憑いている「霊」を何とかすべきでありましょう。この霊が飲ませているのであるわけですから。このあたりを解決する考え方が日本文化には存在します。それは次のようです。
未だにお酒を飲み足りずに成仏できない御先祖様がいらっしゃるのですから、今からでもこの御先祖様にお酒をお供えし、気持ちだけでも十二分に飲んでいただ くことが必要であるということになります。そして、このお供えしたお酒を、憑いている子孫、現在アル中となっている人に飲ませるのです。これが、いわゆる 先祖供養ということになるのですが、適切に行われれば、憑いている先祖の霊は満足して成仏し、後は、本人の気持ちで飲むなら飲む、飲まないなら飲まない、 ということになるのであるとなるわけです。
この方法は、かって筆者と荻野恒一(慶應義塾大学客員教授・当時)との共同研究でその効果を見たものです(理想、627号、文化人類学特集・医療人類学小特集)。
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