2004年12月30日:初出し
2008年(平成20年)5月15日(木):旧ブログから移動
------------------------------------------------------------------
さて、自分では分からない自分の癖の集合体である無意識あるいは死霊は、どのようにして成り立っているのでしょうか。ここに、人間と他の動物との根源的な違いが見られるように思うのです。それは以下のようになります。
犬や猫を飼った経験、また、養豚場や養鶏場で働く人達のお話からしますと、彼らは、生後直後から、色々なことができるようです。とても人間の比ではないの です。たとえば、豚は生れ落ちるとすぐにヨチヨチと歩き、母豚のおっぱいを探し当てて飲むことができるようなのです。生まれたての人間には、こんなことは とてもできるものではありません。唇に乳首を触れさせ、あるいは銜(くわ)えさせてはじめて吸い付きます。こうすることで、人間は命を育んでいくことがか ろうじて?できる、といってよい存在です。親の庇護が絶対的に必要な存在なんですね、人間は。
そんなわけで、およそ満一歳になった頃の人間が生まれたての豚と同じようなことができる状態となるわけです。このため、動物に比べると、人間は一年ほど早 産であることになります。しかしこれは生理的現象であるので、生理的早産と呼ばれています。このため、人間は、動物ほどには、本能的なことができない状態 となってしまっているのです。
では、人間は一人前になるにはどうするのでしょうか。それは『模倣』であると考えられます。脳科学的には、ミラーニューロンという物まね細胞がイタリアの ラゾラッティ教授による発見などで知られている現象です。日本文化的には、あの親にしてこの子あり、蛙の子は蛙、子は親の背を見て育つ、・・・、といった 諺に示されるように、模倣はよく認識されている現象です。これは古代大和(現代沖縄)文化的には『ちぢうり』と呼ばれているものでもあります。文字を持た ない沖縄語であるのですが、この『ちぢうり』に対して、大橋英寿東北大学助教授(当時)は『継降』という字を当てました。言い得て妙ですね。この継降の概 念は、医学で言えば、M・ボーエン(アメリカの家族療法か)は『多世代伝承』、L・ソンディ(スイスの衝動病理学者)は『遺伝趨勢』と呼んでいるもので す。
以上のことがあるため、動物を人間が育てても人間になることはできないのですが、人間は動物に育てられると、その動物の行動様式を真似てしまい、その動物 のようになってしまう、ということがあるようなのです。1925年にインドで発見されたアマラとカマラの狼に育てられた子が、この例としては有名でありま しょう。しかし、この話は信用できないという論もあることを付記しておきます。人間の無意識は、養育者の行動様式を模倣したものであるということなので す。養育者が普通に人間の『親』であるなら、育てられた子も『人間』の行動様式を持つわけです。
ところで、その親もまた育てた親がいることはあきらかです。したがって、『親』は『親の親』の無意識をコピーしています。『親の親』はまた『親の親の親』 の無意識をコピーしています。この関係は、寸断することなく、究極の祖先にまでさかのぼることでありましょう。ここで、無意識が死霊、すなわち死者の霊 (心)であることの意味が分かることとなります。そして、無意識なるものは、先祖の集合体(祖先)とでも言えるようなものであることも分かります。
親をコピーするという現象は、別の表現では、親の霊が子に作用する、ということも出来るのではないでしょうか。
PR