この『恥ずかしい』という感情が『壁』となって、各人が自己の行動抑制を自然に行えていると考えることができるのだ。しかし、この『壁』がなくなると、あるいは壊してしまうとどうなるか?
異性と最初の『恥ずかしさの壁』を乗り越えて関係を持つことが出来たなら、それ以降は、もう壁はほとんど存在すぃないと言ってよい.例えば、若い男女は、会えばセックスを行うのが目的であるかのように自然に行い、、、となる。こうなると、この二人の間にサイド『恥ずかしさの壁』を構築することは難しい・・・。
同様の現象は、性犯罪は再犯が多いと言うことに関係するだろう。
ところで、恥ずかしさの壁が形成されるには、その
行為や言動に『甘え』の感情が付着していく必要がある。次第に付着していきながら、『恥ずかしさ』が形成され、行動が自然に抑制されるのだ。そこで、『性教育』と称して、これを公に露わにしてしまうとどうなるか?
もう『恥ずかしさの壁』がなくなってしまうことになる。すると、その行為を行うのに情緒的な面からの抑制は期待できず、理性に頼るのみとなる。しかし、性衝動を理性で抑制することは可能だろうか?一部の人には可能なのかも知れないが、少なくとも、親鸞聖人には無理だった(笑)
『恥ずかしさの壁』の構築に支障をきたさないように、特に幼児の性教育には細心の注意を払うべきである。さもなくば、教育者の意に反して、性犯罪の奨励にしかならないだろう・・・。
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