子育ての本質-子の心に生じる不快感を除去し快感に変える一連の作業を行うのは「母」である。このカギ付の母は、子の養育行動を行う者、母性を発揮するものの総称である。実際の母であったり、父であったり、祖母であったり、保育士であったりする。
子育ての本質を「母」が半年ほど淡々と実践していくと、子の心の中には、不快感・・・「母」・・・快感 の三要素間に、条件反射が成立し(条件母性反 射)、人見知りを呈するようになる。以後、子供はもっぱら「母」に甘えるようになる。このころから、子は「うち」と「そと」の区別が次第にできるようにな る。
子にとって、「母」がいるところは「家庭」であり、「母」がいないところは「社会」である。ゼロ歳保育児にとっては、基本的には、保育園の場が「家庭」であり、実父母がいるところは「社会」なのである。ここに、「家庭」と「社会」が逆転してしまう現象が発生する。
昨今の学校での子供達の様子を知るにつけ、上記の思いはますます強くなった。子供達の学校での行動は、まさに我々がかつては家庭の中でやっていたことである。親から言いつけられても知らん振りして逃げてみたり(笑)、周りの迷惑などは考えずに、兄弟げんかをしてみたり(^^;、勉強しなさいといわれてもこっそり遊びに行ったり(笑)、その他、あげればきりがない(^^;
学校では自由気ままに振る舞い(甘えている)、家に帰ると、良い子になっておとなしくし、ご飯を食べさせてもらい、小遣いをもらい、ということになる。まるで、家庭というのは、子供という仕事を住み込みで遂行して、給料をもらう・・・、そんな様子に見えてくるのである。家庭内では、結構わがままになれたものであるが、現代の子供達の『家庭』は、小さい頃からの習慣で、学校という集団の場になってしまっているといえるのではないだろうか。
この手の問題の解決には、家庭機能を理解し、家庭機能を早急に取り戻すことを考えないと、荒れ果てた社会になってしまう可能性が高い。
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