四半世紀にわたって家族療法を研究・指導してきた立場からすれば、これは誤りである。男から女へだけでなく、女から男へも結構あるのだ。私が知っているの では例えば、ヒステリックな妻が棍棒で殴るのを青痣をつくってまで耐えていたり、給与振り込みの夫の通帳とカードを取り上げて家に入れずに追い出したり、 かたくなにセックスを拒んで真面目な夫をノイローゼ状態にしたり、多種多様である。もちろん、これにはそれなりの因果関係が存在する。
一般に、男は女から暴力を受けても、これを表沙汰にすることはしない。だから、妻から夫への暴力は社会問題化しないのだ。また、一般的に、暴力を振るう妻 がいる、といっても、「まさか!」という場合が多い。女性は「優しい」「弱い」というイメージが定着しているためだ。ところが現実はそうではない。
つい先だっての本紙上に本土から来た某女史のDVに関する講演の記事が掲載されたが、これとて、女が男から被害を受けている、という視点からのものだった。DVに関しては、男女の性別は、基本的には関係ないのだ。
DVを起こす人は、性別に関係なく、他人には気を使い過ぎるほどに使うのが特徴だ。そして、幼少時から親(特に母親)の愛情に飢えていた、という特徴が共 通してみられるのだ。親から得られなかった愛情を配偶者から得ようとするのであるが、配偶者が与えきれないとき、DVとなる。この様なメカニズムであるの だから、その治療(家族療法)は比較的易しい部類に属する。
DVの問題を解決するには、女の生きる権利を主張し、女の保護を行い、男を凶弾するといった図式では不可能である。その本質に触れないからだ。那覇市がDVに関する調査を始めるというが、問題の本質に触れるように行われることを望む。
特にこの様な問題の調査にはフェミニストが関わることが多いように思えるが、フェミニズムは「女性は普遍的に男性より劣位な地位に置かれている」という認 識の下に行われるので、偏った結論になる可能性に注意しなければならない。暴力は欲求不満の捌け口のひとつであって、基本的に男女差はないものである。た だ、甘えたい側が甘えさせてくれないことに怒りを感じて行動化するだけのことなのだ。
(註)上記文中において、「本紙」や「紙上」というのは、琉球新報紙を意味する。
以下追加文章
DV,家庭内暴力は、その字が示すとおり、親密な関係において発生するものだ。他人との間で発生すれば、これは傷害事件であり、犯罪だ。ここで必要なことは、DV,家庭内暴力問題の解決に、他人との関係のあり方を援用しようとすることを避けねばならない。親密な関係というものを理解し、対処していく知恵を習得しなければならないといえる。日本文化の心理学と家族療法、まぶい分析学では、そのようなことを行うものである。しかし、ここにいたっては、DV、家庭内暴力の問題なども利権構造に組み入れられており、問題が発覚すれば、自動的に離婚の道を進むようになっているように感じられてならない。
PR