し‐つけ 【仕付け】
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《動詞「しつける」の連用形から。「躾」とも書く。「躾」は国字》礼儀作法をその人の身につくように教え込むこと。また、その礼儀作法。「家庭の―がよい」「―が厳しい」
とあります。では「礼儀作法」について調べてみますと、
れい‐ぎ 【礼儀】
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1人間関係や社会生活の秩序を維持するために人が守るべき行動様式。特に、敬意を表す作法。「―にかなう」「―正しい人」「親しき中にも―あり」「―作法」
2 謝礼。報謝。
「それは―いかほど入り候はんや」〈咄・醒睡笑・三〉
[用法] 礼儀・作法――「物を食べながら人に会うのは礼儀(作法)に反する」のように、人と接する時の態度の意では相通じて用いられる。◇「礼儀」は対 人関係での気配りや敬意、慎しみの気持ちにもとづく行動の規範である。「作法」は対人関係に限らず、礼儀にかなった一定の行動のしかたを言う。◇「年賀状 をもらったら返事を出すのが礼儀だ」は「作法」では言えないし、「お茶の作法を覚える」を「礼儀」とは言えない。◇「作法を知らない」と言えば単にその知 識がないだけである場合も多いが、「礼儀を知らない」では、敬意や慎しみの気持ちがなく、常識に欠けることを非難する意が含まれてくる。◇類似の語に「行 儀」がある。「行儀の悪い子」「行儀よくすわっている」のように、礼儀にかなった立ち居のしかたの意で使う。
以上のようなことで、躾というのは礼儀が身につくように教え込むというわけですね。ここで「教え込む」ということが問題であると思います。具体的にはどういうことなのかを考えて見ます。
心の病の臨床場面からすれば、口喧しく躾を受けた人は、後々になって、色々と心の問題を発生しやすいようです。これは
条件嫌悪反射とでも呼んでよいような、 「躾けられた行動」をとるときに「嫌悪感」を伴うようなことであります。そのため、躾けられた行動をとるたびに嫌悪感が蓄積されていき、我慢することが行 われるわけです。我慢の限界に達したときが問題となります。この我慢の限界は、まぶい分析学では受忍限度期間と呼んでいます。僕はこの期間は、我慢をし始 めてからおおよそ10年前後が一般的であるような印象を持っています。
ことわざでは、「子は親の背を見て育つ」と言います。これは、躾は言葉で行うのではなく行動で示せということであると考えられますね。人間には模倣本能が あるようですから、ここが大切なのだと思います。では、なぜ多くの人が言葉であれこれと躾ようとしてしまうのでしょうか。
その究極の心理は、「この親にしてあの子あり」「蛙の子は蛙」といったことに関連すると思われます。つまり、
自分の子供を「良い子」として世間から見てもらえるように躾をしないと、親である自分の沽券にかかわるからであるということがあると言えましょう。ここのところは大変に重要ではないでしょうか。
臨床から見得る事は、躾の厳しい親ほど世間体を重んじる傾向があるようだと言えます。子供の気持ちを汲むのではなく、親の気持ちを押し付けてしまうのであ り、それを「子供のためだ」と勘違いしていて気がつかないことが多い、ということです。その結果、子供が問題を起こして始めて気づくといったケースが多い のです。このことには、僕達は、重ね重ね気をつけたいものです。
また、日本文化は恥じの文化とも言われたりしますけれども、僕達日本人には『そんなことをするのは恥ずかしい』という感情が存在するため、良きにつけ悪し きにつけ、種々の行動が抑制されているものです。この『恥ずかしさ』というものが内面から沸き起こるようにするのが、本当の意味でのしつけにつながるので はないかという気がします。
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