例えば次のような場面では、多少なりとも「恥ずかしさ」を覚えてしまうことが多いのではないだろうか。
(1)公衆の面前でキスをする、あるいは愛撫をする。
(2)セックスに誘う。
(3)始めて関係をもった者同士が翌日(必ずしも翌日でなくとも良いが)に会うとき。
しかし、大方の人は「恥ずかしさ」を覚えるようではあっても、決してそうではない人達もいるようである。実際、都会では、(1)などは良く見かけるもので、見ているほうが恥ずかしくなったりすることもある(^^; このような違いはなぜ生じるのであろうか。
日本人全般について統計的に確実であるということまで結論するほどには例数がないけれども、以上のような二者の間には、次のような相違点があることは分かっている。
ここでも、他者に自分の「甘え」を見せるときに「恥ずかしさ」という感情が発生する、ということが言えるのである。
キスや愛撫は「甘える行為」である。セックスだってそうである。しかし(3)は行為そのものではないのに「恥ずかしさ」を覚えてしまうのはぜだろうか。
いったん関係を持ってしまうと、その当事者達は互いに他とは異なった「甘え」の関係を確立してしまうということである。そのため、相手に会う時には、相手に対し「甘え」の感情を覚えざるを得ないので「恥ずかしさ」を覚えてしまうのだと考えられる。
しかし合って関係を持つ回数が増えるにつれ、次第に「恥ずかしさ」の感情は消失していくようだ。これは関係を持つたびに「甘え」が充足され、充足されるに従って「甘えたい」という感情は低減していくので、「恥ずかしさ」もまた次第に覚えなくなっていくと考えられるわけだ。
(1)や(2)において「恥ずかしさ」を覚えない人というのは、その行為に「甘え」の感情が付着していないと考えられる。その行為は「抱き合う」ということであるが、これに「甘え」の感情が付着していないということは、幼少時から、スキンシップによる「甘え」を経験していないと考えられるわけである。
果たせるかな、そういう人たちに会うたびに機会があれば聞いたりしているのであるが、たしかに、幼少時から「甘える」ということを経験させてもらってない人たちであることは例外が発見できないのである。