2008年北京オリンピックの聖火リレーでは、中国の若者達の暴走リレーであったという感が否めないと思います。オリンピック開催を国威発揚の場とするのはかまわないのですけれども、しかし、履き違えてはみっともないといえるのではないでしょうか。
中国の若者達の行動は、中国当局は、多少の軌を逸しても、愛国無罪ということにしているらしいですね(^^; でも、恥を撒き散らし、国の品格なんぞが全く無いという事を世界に示したとも言えるのではないでしょうか。
この中国がいう愛国心には疑問を感じること大ですし、わが国の識者達も疑問を呈していますね。一例として、林道義元東京女子大教授も”愛国心ではなくジコチューだ”と断じているのです。
しかし、林氏の愛国心論議には、どうも違和感がぬぐえないのです。なぜなのでしょう?
氏のホームページから引用しますが、
(引用開始)
本物の愛国心とは
第一に、自国の良いところに誇りを持つことである。
第二に、自国の悪いところや間違っているところを指摘・批判されたときに、謙虚に反省し、そこを直し、改善しようとする態度である。もし相手の方が間違っていると思えば、理性的・理論的に反論する。自信があるから感情的に反発したり、激昂したりしない。
第一の点についても問題はあるが(例えば有人宇宙飛行をやったとか、経済成長が高いとか、オリンピックを主催する、などという外見的なことに価値を見いだすか、国民の人格の成熟度や文化に見いだすか)、分かりやすいメルクマールは第二の点である。
(引用終了)
自国の良いところに誇りを持つことが愛国心なんでしょうか。「良いところ」なんてのは、見方によって色々と変化します。これでは中共政府と同じではないの でしょうか。彼らは自分達の行動を悪いとは思っておらず、誇りを持っているであろうことは明らかではないでしょうか?自国の悪いところを・・・冷静に反 論・・・感情的にならない・・・激高しない・・・、こういったことが愛国心のパラメータなのでしょうか?全く違うだろう・・・と思いますよ。見当違いとい うか、なんというか、、、、。
まずジコチューとは何でしょうか?Yahoo辞書大辞泉によりますと、
じこ‐ちゅう【自己中】[名・形動]《「自己中心的」の略。「ジコチュウ」と書くこともある》何事も自分を中心に考え、他人については考えが及ばないさまをいう。自分勝手。利己的。「―な発言」→自己中心性
じこちゅうしん‐せい【自己中心性】ピアジェの用語。乳幼児の思考様式の特徴で、事象を自分の立場あるいは一つの視点からしか分析・認識できないこと。
ということです。しかし、人間は、自己の欲求を充足させることで生きている生き物ですから、本質的には人間はジコチューな生き物ではないでしょうか。それは否定できないと思います。まぶい分析学では、マズローの基本的欲求の五つの段階を考えます。それによりますと、
(1)生理的欲求、(2)安全欲求、(3)所属・愛情欲求、(4)承認欲求、(5)自己実現欲求
どの欲求も充足がなされないときには、基本的欲求の定義どおりに、病気になってしまうという性質を持っているものです。どれも基本的にはジコチューな欲求 です。ただ、(4)と(5)は、他者の欲求を充足させる行動を取ることにより他者からの信頼が得られ、それにより承認と自己実現の欲求が充足されるという 性質があります。ですから、ジコチューかどうかの判断は、他者の欲求を充足させる行動を含んだジコチューであるかどうかによると言えるのではないでしょう か。
この例としては、世界各地の聖火リレーでは、五星紅旗(中国国旗)だけをもった中国の若者が集まりました。これでは他者の欲求を充足させるようなものでは ないですね。目的はオリンピックなのです。オリンピックの旗とともに、あるいは各国の国旗とともに五星紅旗を振るのでしたら、各地で歓迎されたのではない かと思います。そして林氏にジコチューだと言われる事もなかったはずです(笑)
一方、愛国心とは何でしょう?これは、国の名誉や存続にかかわる行動、と考えてよいのではないでしょうか。となれば、他者の欲求を充足させる行動を含んだ、国の名誉や存続にかかわるジコチューな行動と解してよいのだと思われます。
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