No.196 に引き続き、日本の場合を考えてみましょう。
日本の場合、どうも女性は男性に虐げられている、ということは一般的には当てはまらないような気がしてなりません。『亭主関白』なんて意地を張っているのは、少なくとも自分の周りではきわめて少数派ですし、家庭はカカア天下くらいがとうまく行く、といった伝承もありますし・・・しかし、まずは女性優位、これは虐げられているとは対極ですが、であることの事例をいくつか探してみましょう。
(1)呼称:
欧米では、man, woman, lady, gentleman, ...ということになります。ただ、man という語が『男』を表すと同時に『人類』を表すということもあり、ここに女性差別だと主張することが良く行われました。日本語ではどうでしょうか?私達が生まれたら、初めは『子供』ですが、やがて、男の子、女の子と呼ばれるようになります。男は成人すると『殿方』と呼ばれるようになります。これはしかし、男が男をさしていうのではなく、女が男をさして言うわけです。男が男自身を言うときには、男でしかありません(笑)。
女は成人すると、あるいは結婚すると、『婦人』と呼ばれます。『婦』の字が「女が箒を持った意味」などとフェミニスト達にいちゃもんをつけられ女性差別ということにされてしまいましたが、実際はそうではありません。例えば、
高杉親知の日本語内省記によると、
「婦」が含む「帚」の字は箒ではなく、鬯酒という香草入りの聖酒をそそいで宗廟を清めるのに用いる呪具である。「婦」は宗廟に奉仕する高位の女性であり、氏族を代表して軍を動員することもあった。後に「婦」は一般女性に使われるようになったが、元は高い地位だったのである。「帚」を箒と考え、「婦」は箒で掃除をする女性を表すというのは俗説である。従って「婦」を用いるのを躊躇する必要はない。
ということなのです。もともと、高位の女性を表す言葉ですね、婦人というのは。ここに女性優位を見ることができます。また、「殿方」という言葉は、これ以上丁寧な言い方はありません。しかし、「婦人」は、御婦人とさらに丁寧に言うことが出来ます。そしてなおかつ「私達殿方は・・・」とは言えないのに「私達婦人は・・・」といってもおかしくありません。
(2)家計の管理:
欧米では夫が稼いだお金や不動産の権利証など個人資産の大切なものをそっくり預けるというのは普通は行われていません。ところが日本では、結婚すれば、まるで当たり前であるかのように自然に、妻が夫の稼ぎをほとんどすべて管理するというのが普通に行われています。これは欧米人には信じられないようですが、事実であります(笑)。また、語源由来辞典によれば、おふくろという言葉には、諸説ある中にも、母親は金銭や貴重品を袋に入れてすべてを管理していたという説もあるわけです。
(3)子供の相談相手:
子供達は、何か問題があると、性別に無関係に、母親に相談することが普通に行われます。直接父親に相談することは珍しいほうで、父親に相談したほうが良いということは分っていても、まずは母親に相談し、それから母親にこれはお父さんにも・・・というようになるのが普通のようです。四半世紀にわたって家族療法の臨床にかかわりながら得られた知見です。
以上のように、日本では、男性と女性は平等(対等、同質)というわけには行かないようで、「女性優位」となっていることが分りますね。
そうしますと、欧米のフェミにズムは、女性は男性に虐げられている、抑圧されているという認識からら出発しますので、男女平等(対等、同質)を獲得することが地位向上につんがることは明らかです。女も男と同じようにしよう!という志向が働くのは当然と言えましょう。ところが、日本においては、女性優位にあるわけですから、女も男のように、という指向ではなく、男も女と同じように!という指向が働くわけです。欧米のように振舞うのは、実は、優位にあった地位を捨てることになるわけですね。
「婦人」を「女性」に置き換える試みがなされてきましたが、例えば、「・・・会婦人部」という場合と「・・・会女性部」という場合では、かなり意味合いが違うことにお気づきになるだろうと思うのです。女性部というと、高貴なイメージがなくなり、生物学的な♀族の集団という味気ない感じになりますね(笑)PR