産経新聞社の
福島香織記者(中国総局支局(北京))のブログは、面白い記事ばかりで、良く訪れます。今回は、
学者の良信、記者の良信という記事があり、読んでみると、思い当たることがありましたので、書き記しておくことにしました(笑) 余計なことかもしれませんが、九州・沖縄では産経新聞はありませんので、ウェブからしか読めません。
福島香織記者はその記事では、
■学者の良心、
濱田政則・早稲田大学教授の話
地震学は被災地に役立つか?
というのを述べています。ボクの場合には、民俗学、文化人類学、社会人類学、医療人類学、・・・、といった学問の専門化が沖縄の慣習(祖先崇拝やトートーメーなど)などの研究を行うことについて言いたいわけで、それってなんの役に立ってるの?!ということなのです。
濱田政則早大教授のお話は、福島香織記者のブログを読んでいただくとしまして、上に述べた諸学問分野では、沖縄の習俗が研究対象に上がることがあります。 でも、何のためになのでしょう?地元の人よりも本土の人が結構多いです。卒業研究、修士論文、博士論文といった具合に、学生さん達が良くフィールド調査を しています。
研究はといっても、ほとんどが聞き取り調査です。で、その成果は『論文』という形にまとめられて、教授会などの審査を経るわけですね。で、学会雑誌などへ発表してそれで終わりです。
とかくと、『なんで?それでいいんじゃないの?』という声が聞こえてきます(笑) 本当にそれでいいのでしょうか?ボクの良信はそうは主張しないのです。 沖縄の慣習(祖先崇拝、ユタ、トートーメー、および関連)は、沖縄の人たちの日常と深く結びついています。そして、問題を生じたりしています。そういう中 での研究なんですね。
研究を曲がりなりにもすれば、研究とは、問題点を明らかにすること、問題の解決法を見出すこと、といった目的があるわけです。で、研究した結果が正しいも のであるかどうか、という判定はどうするのでしょうか?大学の教授会は、そのような研究はマイナーな分野ですから、ほとんどの人が知らないことです。論法 が正しいがどうかくらいでしょう、判断できるのは。
そういう研究にとっての本当の師匠というのは、大学の論文審査委員会ではなく、慣習にどっぷり使っている当の沖縄の人達ではないでしょうか。研究した結果 を彼らに示し、『良く研究してくれた!おかげで問題が解決した!』という評価を得ることが大切なのではないでしょうか。それが生きた研究であって、図書館 の蔵書のひとつとなるだけでは、アカデミックなゴミの生産にしかならないと思うのです。
地震学も被災地に役に立つことが重要でしょう。同様に沖縄の研究も沖縄に役に立たねば・・・
何でこんなことをあえて言うかといえば、かって、
(1)もうかなり前ですが、沖縄学の外間守善という人(元法政大教授)の講演を聴いたとき、沖縄の文化を仏教文化として考えて自身の説を開陳していたこと、
(2)これはごく最近ですが、勝方=稲福 恵子という早大教授が(たぶんボクの中学時代の同級生と思われるので、気が引けるのではありますが(笑))、沖縄の文化を儒教文化とのたまわって自説をNHKラジオで開陳していたこと、
などが気になるものの代表です。外にもたくさんありますが。沖縄に住んでみれば、いやすまなくてもみればすぐ分ることですが、どこに仏教や儒教文化という 証拠があるのでしょう?そりゃあ、寺や孔子廟はありますが、それ以前に、沖縄は祖先祭祀システム、祖先崇拝の地だというのは、一目瞭然でしょうよ。仏教は 葬式くらいでしょ? そういう文化基盤を取り違えている人たちがいることが大問題ですよ。
研究はアカデミックはゴミを作るだけならまだ良いのですが、間違ったことを伝えていくようなことは避けねばなりません。得に沖縄の研究には、このような学者、研究者の良信が必要かと思われます。
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