沖縄県石垣市登野城の海域(尖閣諸島)で、台湾遊漁船と日本海上保安庁巡視船が接触事故を起こした結果、台湾側が一千文字左図、いや一戦も辞さずの姿勢で 強硬に出てきていた。この姿勢には「ウマシカか、台湾は!」と思ったものだが、台湾は軟化したようだ。中国共産党政府、中国人が北京オリンピックや餃子問 題などで、やたらと高圧的なオバカな態度で接してきて、全世界(共産圏などは除くようだ(笑))の顰蹙をかっているが、台湾までが・・・(^^;
大変に不思議なのは、台湾に白中国にしろ、どうして尖閣諸島の領有を主張できるのかということだ。だいたいにおいて、かって台湾船が遭難したときに沖縄県 民に救助されたが、台湾からの感謝状には、尖閣諸島は日本領であることを銘記してあったという記録があるし、現総統(国民党)はともかく、前総統の陳氏は 日本領としていたはずである。
しかも、日本外務省の尖閣に関する認識は、
---(引用開始)---
尖閣諸島の領有権についての基本見解
http://www.mofa.go.jp/mofaj/area/senkaku/index.html
尖閣諸島は、1885年以降政府が沖縄県当局を通ずる等の方法により再三にわたり現地調査を行ない、単にこれが無人島であるのみならず、清国の支配が及 んでいる痕跡がないことを慎重確認の上、1895年1月14日に現地に標杭を建設する旨の閣議決定を行なって正式にわが国の領土に編入することとしたもの です。
同諸島は爾来歴史的に一貫してわが国の領土たる南西諸島の一部を構成しており、1895年5月発効の下関条約第2条に基づきわが国が清国より割譲を受けた台湾及び澎湖諸島には含まれていません。
従って、サン・フランシスコ平和条約においても、尖閣諸島は、同条約第2条に基づきわが国が放棄した領土のうちには含まれず、第3条に基づき南西諸島の 一部としてアメリカ合衆国の施政下に置かれ、1971年6月17日署名の琉球諸島及び大東諸島に関する日本国とアメリカ合衆国との間の協定(沖縄返還協 定)によりわが国に施政権が返還された地域の中に含まれています。以上の事実は、わが国の領土としての尖閣諸島の地位を何よりも明瞭に示すものです。
なお、中国が尖閣諸島を台湾の一部と考えていなかったことは、サン・フランシスコ平和条約第3条に基づき米国の施政下に置かれた地域に同諸島が含まれて いる事実に対し従来何等異議を唱えなかったことからも明らかであり、中華人民共和国政府の場合も台湾当局の場合も1970年後半東シナ海大陸棚の石油開発 の動きが表面化するに及びはじめて尖閣諸島の領有権を問題とするに至ったものです。
また、従来中華人民共和国政府及び台湾当局がいわゆる歴史的、地理的ないし地質的根拠等として挙げている諸点はいずれも尖閣諸島に対する中国の領有権の主張を裏付けるに足る国際法上有効な論拠とはいえません。
---(引用終了)---
であるわけだ。しかも中国高官は国際裁判所に行けば日本が有利としているようだし、、、。しかし、これでは、お宝が眠っていることが分ってから騒ぎ出した、泥棒と同じではないか。
いずれにせよ、今回の船の接触事故に端を発した尖閣領有問題であるから、日本側の対応も十分に気をつけなければならない。日本側巡視船の対応にも問題があ り(要求があれば)謝罪と賠償がなされるということであるが、ことは領海侵犯ということが前提とならねばならない。さもなくば、暗黙に相手に領有権を認め てしまうものだと言えよう。
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