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= まぶい分析学 Mabui Analysis =

「まぶい」とは琉球語で「たましい」という意味です。琉球語は古代大和語と深い関連があることが分っています。したがって、琉球語で語られる精神世界は、古代大和から連綿と続く日本人の精神世界を表し、いわば、日本人の心の源流であると考えられます。このような日本文化と西洋諸心理学を融合、体系化することが出来、これを「まぶい分析学」と呼んでいます。まぶい分析学の命名は、姫路獨協大・實川幹朗教授によります。記して感謝。 まぶい分析学と精神分析や分析心理などの他の心理学との違いは、分析と同時に治療法が提示されること、家族療法として主婦が修得すると家族成員に対しても効果を発揮することです。なお、http://matayan.ti-da.net/ にミラーサイトを準備しています。  
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11.母子癒着の切断
母と子が癒着している例の家族療法の臨床経験からすれば、父の存在如何は二次的な問題であって、本質ではない。恐らくは、推量でしかないのだが、従来のカ ウンセリング方では本人達に対し、カウンセラーが「父」の立場をとってきたがために、あたかも「切断」したように見えただけかも知れない。まぶい分析学 (日本文化の心理学と家族療法)の方法では、子供を正しく甘えさせる、という方法でこれを解決してる{註1}。この「癒着」は別名「共依存」と呼んでも良 いと思われる現象であるが、これは次のようにして理解されるものである{註2}。



ある段階(例えば安全欲求)の欲求が充足されない子は、他者の行動を模倣して他の段階の「見かけ」の基本 的欲求に基づいて甘えようとする。これを代理欲求と呼ぶ。ある段階の基本的欲求よりも下位の基本的欲求の形で現れるとき「退行」といい、上位の基本的欲求 の形で現れるとき「越行」という。共稼ぎ家庭、あるいは母子家庭によく見られる現象である「鍵っ子」は、安全欲求が充足されていないことが多い。その結 果、退行して愚れたり、越行して良い子になったりしていることがよく見られる。

代理欲求として、所属・愛情欲求の一表現である「あれ買って、これ買って」が始まり、無思慮に応じていると、次第に欲求が増大し、家庭内暴力に発展した り、あるいは勤労意欲がなく、金銭浪費癖のある青年になってしまったりする{註3}。これは「甘やかし」の典型である。「甘やかし」とは、その原因となっ ている基本的欲求を充足することなく代理欲求のみを充足することであり、これは、その基本的欲求が充足されるまでは延々と続く性質を持っている。

また、代理欲求として、承認欲求の表現である「他者に認められたい」がでると、良い大学へはいるために進んで勉強して良い子になる、という行動が現れ、成 績が急激に伸びたりすることがある。このような状態は一までも続かず、やがて、まるで燃え尽きてしまったかのように意欲を消失してしまうことがある。これ は、いわゆる「燃え尽き症候群」である。

上記の問題を解決するのは、そのメカニズムからして、第一義的には「父性」ではないし、父の仕事でも役割でもない。本質的に重要なのは、充足されていない 基本的欲求を充足させることである。そのようにすれば、問題はたちどころに解決するのである。ここに父親が説得や叱責などで関与するようになると、一時的 には収まることもあるが、後日にまた問題が吹き出してしまう。

代理欲求の原因となっている未充足の基本的欲求を充足させることを「正しく甘えさせる」と表現する{註1}。このときの「甘え」の感情は、条件母性反射が 成立している相手(普通は母親)に向いているので、それが成立していない父親の出番ではないのである。母子関係を良好にすることが基本的には重要なのであ る。良好になった母子関係に対して、それを「切断」若しくは「区切る」という形で関わるのではなく、その安定した心理状態をロゴスによる甘えでもって社会 へ「接続」していくのが「父性」であり、第一義的には「父」の役割である。

以上のような意味で、母子の癒着を切断するのは、本質的には父親の仕事・役割ではない。母親が正しく甘えさせることにより、所属・愛情欲求が自然に芽生 え、それが社会へ向けられるようになって初めて、ロゴスでの「甘え」の関係に耐えられるようになるのである。エロスの「甘え」に飢えている段階では、情緒 的に拗ねて、僻んで、恨んで、そしてややもすれば、ふてくされて、やけくそになっている状態であるので、父性による(言語による)統制は不可能なのであ る。ああいえばこういう、の問答形式に終始し、やがては抗争に発展するのがオチである。

父親の役割は、母親と子の癒着の「切断」や「区切り」などではなく、母親と子が築き上げた関係を社会へ「接続」していくものである。


12.母性と父性の協調
以上のような考察からすると、今までの母性や父性にまつわる言説には疑問が出てくる。母性は母親の有すべき特性、父性は父親の有すべき特性、といったこと ではなくなってくる。母性は、子の条件母性反射が成立している相手が持つことが子の養育には望ましいことをいう性質であり、スキンシップなど非言語コミュ ニケーションを持って「甘えさせる」ことをいうものである。また、父性は、他者との関係を持つための言語によるコミュニケーション能力をもって「甘えさせ る」ことをいうものと考えられる。したがって、基本的には、性別の区別無く、人間が有している性質であると考えられる。このようなことをあえて「両性具 有」などと表現する必要は全く感じない。

現実の親子関係においては、母子関係では条件母性反射が成立している場合がほとんどであり、母親は必然的にマズローの基本的欲求の下位の部分の充足に関与 せざるを得ないものである。父親に対して条件母性反射が成立するような場合には(例えば子が出生した直後に母が死亡した場合など)、当然のことながら、父 親でも基本的欲求の解の部分の充足に関与する。これが「母性」である。

母性による基本的欲求の充足が適切であれば、還元すれば、子がエロスの甘えを享受できれば、自然に上位の基本的欲求へ移行するので、また、それと共に言語 能力が発達するので、言語能力によって関係を作り上げることの訓練がなされる必要があることになる。これが「父性」である。

ここに、我々は母性と父性の協調の必要性をみることができる。母子関係の「切断」や「区切り」ではなく、他者との関係への「接続」である。これらの考え方 は、互いに正反対のニュアンスを持つように思える。前者は人間性悪説的であり、後者は人間性善説的である。というのは、切断や区切りを行うためには、「そ れでは(そのままでは)良くないんだよ!」といった気持ちがどうしてもつきまとうであろうし、接続するということであれば、「今までご苦労だったね!」と いうニュアンスになると思われるからだ。

再度述べておくが、ここで述べた意味での「母性」と「父性」は、条件母性反射が成立しているかどうかを別にすれば、父(男)であるから、あるいは母(女) であるから、といった属性のものではない、ということだ。非言語的関係か、あるいは言語的関係かの違いである。一般成人は、その能力の高低は別にして、皆 が基本的には持っているものであると考えられる。したがって、労をいとわなければ、子育てにおいては、必ずしも両親が存在しなければならない、ということ にはならない。これが間違いであるならば、単身赴任の夫の母子家庭、離婚で生じた母子・父子家庭、あるいは養護施設といったところにおいて育つ子は、全く 夢がないことになる。

四半世紀にわたる家族療法の臨床経験から言えることは、たとえ母子家庭であっても、母親が子の問題行動の解決をすることができる、と断言できることであ る。ただ、母性と父性(母親の役割と父親の役割)が子に対して適切に発揮される必要がある。この点について、次に述べてみよう。


13.種々の子育ての様態
これまでに述べてきたように、母性をエロスの「甘え」の充足機能、父性をロゴスの「甘え」の充足機能と考えるならば、これは、特に母性は女性に特有なも の、父性は男性に特有なもの、とは考えなくても良いことを示す。実際、女性でもロゴス機能に優れた人、男性でもエロス機能に優れた人、というのは存在する ものである。

ところで、既に述べたことであるが、母性や父性は、ここでは子育ての機能として考えてきた。すると、実際に子育てが行われる状態というのは、次のようになる。

(1)父親単身による子育て
(2)母親単身による子育て
(3)両親二人による子育て
(4)両親はいるものの、父親が子育てを担当する場合
(5)両親はいるものの、母親が子育てを担当する場合
(6)祖父母も関与する場合

多くの場合は(5)の環境の中で子供は成長する。しかし、時代の変化により、(1)~(4)の場合も増加してきていると言えよう。特に、離婚するときには ほとんどの女性が、生活苦は予想されるものの、子供を引き取っているケースが多いことを考慮すると、(5)に続いて(2)も多いと考えられる。

以上の中で(4)もままあるようである。これが子育ての慣習となっている地域としては、米国の文化人類学者マーガレット・ミードが報告した、ニューギニア のチャンブリ族があまりにも有名である。本文で参考として取り上げた河合、林、斎藤各氏の母性・父性論は、(5)の場合が暗黙に想定されていると考えら れ、他の場合への応用はおぼつかないように思える。

ところが、現代沖縄(古代大和)文化としてのアニミズム・シャーマニズムに基づく祖先崇拝の文化、これは裏の文化であるが、においては、以上のような場合 において問題が発生した場合の解決法が存在しているのである。これは。沖縄県においては、現代においても根強く生きており、心理療法に頼る人よりも、遙か にユタ・祖先崇拝に頼る人の方が多い、と言える状態である。これから言えることは、例えば、父親が子育てを担当し、母親が生計維持を担当するような場合に は、チヂ・バッペーと呼ばれる現象が発生することが知れている。

チヂ・バッペーとは「男女の入れ違い」とでも訳されるもので、ジェンダーが逆転することをいう。このことは性同一性障害や同性愛の問題にも発展するとさ れ、今後の我が国における子育て問題、父性、母性の問題を考えるときには、きわめて重要な示唆を与えるものである。しかし、このチヂ・バッペーの問題は、 これでよいのか?「病める日本」の心理学(55)~(65)において、すでに明らかにしてきたことでもある。
_____________________________
註1 又吉正治:正しい「甘え」が心を癒やす、文芸社、東京、1998年。
註2 又吉正治・鈴木英郎:「甘え」と「甘やかし」-共依存からの脱却、沖縄県公衆衛生学会大会、1999年。
註3 又吉正治:勤労意欲がなく金銭浪費癖の激しい青年の心理治療、九州臨床心理学会沖縄大会、1998年。

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1947/08/09
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日本文化の心理学と家族療法研究会主宰
自己紹介:
◎工学士(静岡大学、電気工学、昭和45年)
◎医学博士(東京大学、医用生体工学、昭和55年)
◎荻野恒一慶応大学客員教授に文化精神医学・精神分析を師事・共著:沖縄のシャーマニズム(祖先崇拝)に見る家族療法の機能、理想、628号。
◎臨床心理士(平成2年登録、なお、この肩書きを維持することへの疑問を感じたので、平成7年には再登録を停止した)

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