2004年(平成16年)9月3日・日本人間性心理学会・於文教大学)
2008年(平成20年)1月24日(木) 旧ブログより加筆転載
2008年(平成20年)3月23日(日):同上
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*本論文はまぶい分析学の基本となるもののひとつである*
わが国における心理学の理論と臨床は、理論的には西洋のそれらに依拠しているのが現状である。これでは、よく勉強する臨床家ほど、日本語が流暢な西洋人に 診てもらうような感じを患者に与えてしまうだろう。アニミズム、シャマニズムが日本文化の基層にあることは広く知られている。そこで、西洋諸理論の一例と してA...Maslow を取り上げ、これらと架け橋となるような視点が、日本文化の中に見出せるかどうか検討してみる。
A.Maslow の理論は、人間の基本的欲求なるものを定義し、それが階層構造をなすとするものである。基本的欲求の性格として、(1)それが無ければ病気になる、(2) それを取り戻せば病気が治る、(3)それがあれば病気を防ぐ、(4)それは通常では働かない、という諸点が挙げられる。この四つの性質は、実は日本文化に 言う「たましい」の性質と同一だと解釈できる。古代大和語を未だに残す沖縄において、「たましい」は「マブイ」と呼ばれ、特に、(1)それを落とすと病気 になる、(2)病気を治すにはそれを元に戻す必要がある、と認識されており、実際にそれらに関連した儀式が現代もなお日常的に行われているのである。 Maslow の理論は、わが国でかなり広く支持されているが、その背景には発想のこのような共通性があると考えらる。これまでそうした視点から研究されてこなかったの が、不思議でさえある。
基本的欲求は、基本的には自己充足が不可能であり、他者が関与することによってはじめて充足が可能になるという性質を持つ。つまり、単なるエネルギーの動 き方ではなく、他者との関係のなかでしか充足されない形を備えているのである。この点に着目すれば、日本語に特有な語とされる「甘え」との関連が伺える。 この概念の先駆者である土居健郎は、「甘え」を単に依存欲求としたが、むしろ、「自分でもできることを(あえて)他者に依頼すること」により、充足される 欲求とするのがよい。つまり、欲求の充足は感覚的なものではなく、量的なものだけでは尽くされず、質と型を備えている。常識的な世界のなかでは同じ作業で も、一人でするのか、誰かと、何かと共にするのかで、まったく意味が違ってくるのである。「甘え」がひどいとき、「甘えるな!自分でやれ!」と言いたくな るのは、「甘え」においてすでに対人関係に巻き込まれているからである。
ところが、Maslow の考え方では、基本的欲求が階層構造をなし、基本的欲求を下位から充足させることにより人間の精神は健全に発達する。そして基本的欲求は他者に甘えること によって充足されうる性質を持つものであるのなら、人間は、欲求を上昇させつつ一生他者に「甘えっぱなし」の状態が理想的であることになる。だがこれは 「甘やかし」と言うべきであり、日本人の感覚としても、通常では受け入れなれない。健全な精神の発達を阻害するものだろう。
Maslow 理論とわが国の一般通念の間には、基本的発想は重なるのに、相当の乖離も見られる。筆者はこのような問題意識に基づき、Maslow の理論を日本人の一般通念(文化)とも合致しうるよう、基本的欲求に加えて「代理欲求」の概念を導入し、「退行」に加えて「越行」、さらに「甘やかし」を 定義するという拡張を試みた。これにより、日本文化に根ざしたMaslow 理論とすることができる。
実践面から言えば、心理的諸問題の解決のためは、問題が起きてから個別の治療を試みるよりも、結婚し子を儲ける親に基礎知識を教授する方法が重要だと、四 半世紀の臨床経験から確信されるに至っている。知識を得たふつうの家族からまた次の人、次の家族へと知識を受けついでゆく方法は、専門家の養成よりも効果 的だと考えている。(医学博士・臨床心理士)
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