これは、子が不快感を覚えれば「母」を求め、「母」が存在すれば快感を覚える、ということが起こるということだ。これが条件母性反射である。子の生後、半年前後が経過する頃には、条件母性反射が成立し、それが成立した証拠として人見知りが発生するようになる。これは、子が「母」を認識した証拠となるものだ。 ところが、子の生育環境によっては、この条件母性反射・・・人見知りが発生しないことがある。 例えば「母」の過保護がそうである。過保護とは、大辞泉によれば、 か‐ほご 〔クワ‐〕【過保護】
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[名・形動]子供などに必要以上の保護を与えること。また、そのようにされること。また、そのさま。
「―に育てられる」「―な親」 であるが、必要以上の保護というのが良く分からない(^^;。これを具体的にするならば、次のようにすることができる。すなわち、 過保護とは、要求が発生するのを事前に察知して答えること、となる。典型的ななのは、時間とおりに授乳・哺乳することであろう。あらゆる面でこういったことがあると、子は、要求する、すなわち甘えるという心意が発生しないのである。こうなると、無気力な子として観察されたりする。 大人であっても、例えば病気や老化で病院・施設に収容されると、ホスピタリズムと呼ばれるようなことが起こるのだ。
こうなると、種々の甘えの行動すなわち基本的欲求を充足させようとする行動が発生せず、発達障害として認識されるようになる。学習意欲や能力も甘えの行動のひとつであるから、学習障害としても観察されよう。 子育ての本質を実践する「母」が複数いる場合も問題である。誰にでもなつく、ということになるわけで、大家族・共働きが伝統であった沖縄では、よく見られた。誰にでもなつく反面、何かあると甘えの対象・・・心理的母親が確定していないので、ほろほろとあちこちを動き回ったりする。元気の良い扱いにくい子として認識されてきた。今では、注意欠陥多動症といった名前をつけられてしまうようである(^^;
子育ての本質をちゃんと実践できなかった場合も条件母性反射は形成されない。例えば、子が泣いているのに、「母」が他のことで忙しくかまってやれず、泣き疲れてグタッとした頃に、「はいはい、どうしたの?ごめんね」となるようなことが続く場合である。 日常でもそうで、また、若夫婦が夜の営み(昼でもかまわんが)に熱心であるとき、「赤ちゃんは泣くのが仕事だから!」といった感じで、自分達の快楽を優先させてしまうことが多い場合もあった。 「母」子関係から発生する心の病は、以上の例ように、条件母性反射の形成不全に起因することも多いようだ。医者でなかなか解決しないとき、民俗医療に頼ると簡単に解決した事例が結構あるのは、このことを良く物語ると言えよう。
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