「まぶい」は「たましい」という意味の琉球語です。まぶいには、良く知られた民間伝承では、次のような性質があります。
(1)まぶいは体から落ちる
(2)まぶいを落とすと病気になる(まぶい落し)
(3)病気を治すには落ちたまぶいを拾う必要がある(まぶい込め)
一見すれば迷信のように見えますし、これまでは多くの学識者や宗教家が「迷信」としてきました。しかし、これらの性質は、アブラハム・マズローという米国人で、人間性心理学の創始者がいう、「基本的欲求」の定義と同じであることに何人の人がこれまで気付いたでしょうか?
基本的欲求とは、次のような性質を持つものです。
(1)それが充足されなければ病気になる
(2)それが充足されておれば病気を防ぐ
(3)それを充足すれば病気が治る
いかがでしょうか?全く同じですね?このことからしますと、われわれが「たましい」と考えてきたものは、西洋心理学の言葉で言えば、基本的欲求のことであるということになるわけです。 しかし、このままでは、単に日本語と英語の共通性を見出しただけであって、特別に何かが発生する訳ではありません。そこには、何かが必要です。その必要なことの第一が「甘え」の概念です。 「甘え」は、元東京大学教授の土居健郎が研究し、その著書、特に"甘えの構造、弘文堂刊"はロングセラーとして知られています。彼によれば、「甘え」は、少なくとも欧米に関する限り、日本語に特有な概念であるということです。実際、ボクも調べてみたのですが、英語、フランス語、ドイツ語、イタリア語、・・・には確かに見当たりません。甘えに対応する単語が見つからず、翻訳不可能です。 実は、まぶい(たましい)というのは、この「甘え」と密接に関連するものなのです。
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